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史上偶然の賛・否・激・突!!映画史を塗り替える、未曾有の恐怖体験、「サスペリア」。
全編のネタバレ・あらすじ一覧・本作をより楽しむための小ネタなどを掲載しています。
早速見てみましょう!
登場人物とあらすじ
ドイツの名門舞踏団の裏の顔 のお話。
<あらすじ>
1977年、ベルリンを拠点とする世界的に有名な舞踊団<マルコス・ダンス・カンパニー>に入団するため、スージー・バニヨンは夢と希望を胸にボストンからやってきた。
初のオーディションでカリスマ振付師マダム・ブランの目に留まり、すぐに大事な演目のセンターに抜擢される。
そんな中、マダム・ブラン直々のレッスンを続ける彼女のまわりで不可解な出来事が頻発、ダンサーが次々と失踪を遂げる。
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予告編・予告動画
こんな人におすすめ
- 政治的・哲学的な作品が好き💭
- グロい映像やホラー展開に耐性がある👻
- 二度、三度と観たくなる映画を求めている🎥
本作をもっとよく知るための小ネタ
①1977年のダリオ・アルジェント監督のホラー映画『サスペリア』のリメイク。
これはトマス・ド・クインシーの1845年の小説『深き淵よりの嘆息(英語版)』をモチーフに、ダリオ・アルジェントとダリア・ニコロディが脚本化し、ドイツのバレエ名門校に入学した若い娘を襲う恐怖を描いたもの。アルジェント監督による「魔女3部作」の1作目である。
引用:サスペリア (2018年の映画) – Wikipedia
②日本公開時のキャッチコピーは「その踊りは、死を招く。」。そして、これに加えてオリジナル版と同じ「決してひとりでは見ないでください。」が採用された。
日本では1977年のダリオ・アルジェント監督のホラー映画『サスペリア』公開当時のキャッチコピー「決してひとりでは見ないでください」が流行語になり、同年公開の洋画でベストテンに入るヒットを記録、その影響で翌年、アルジェントによる1975年の無関係な作品が『サスペリアPART2』として日本公開されている。
引用:サスペリア (2018年の映画) – Wikipedia
③ルカ・グァダニーノ監督はインタビューで、舞台となる時代のドイツの状況についてライナー・ヴェルナー・ファスビンダーらによる映画『秋のドイツ(ドイツ語版)』(1978年)を参考にした、と語っている。
引用:サスペリア (2018年の映画) – Wikipedia
ネタバレ感想
第一幕「1977年」
「バーダーとマインホフを開放しろ」と叫ぶ男たちの間を、パトリシアは駆け抜けます。
ジョセフ博士の家のドアを激しく叩くパトリシア・ヒングル。彼女は「マルコスを生き続けさせる気よ。次に彼女たちが選ぶのはサラだわ!オルガにも警告しなきゃ。あの建物には長いこと魔女が潜んでる。マザー・マルコスは私の中に入りたがってる。彼女たちは内蔵をえぐり、女性器を切って食べる」と言います。ジョセフは「妄想は悪化し、パニック状態。自分の作り話を信じている」とノートにメモを取ります。
オハイオ・ナノメイト教会と書かれた封筒の中から、札束を取り出すスージー・バニヨン。ベルリンにある舞踏団「マルコス・ダンス・カンパニー」に向かいます。スージーには正式なレッスンの経験も推薦状もないため、「オーディションが開催されたのはミス・ブランの気まぐれよ」と講師たちに釘を差されます。無音の中で踊りだすスージー。
「マダム・ブランと話したわ。合格よ」と言い渡すタナー。喜ぶスージー。「この時期には珍しくちょうど一部屋空いた」と言われ、「パトリシアね。他の団員が話してたわ」と言うスージー。
スージーがホテルでサラを待っていると、外で爆発音が鳴り響きます。「ハイジャック犯が、ドイツ赤軍(RAF)のバーダーたちの釈放を求めて爆撃してるの」とサラは解説します。
第二幕「涙の宮殿」
「投票を始めます」という掛け声とともに、「マルコス」「ブラン」…と次々と女性たちが名前を言っていきます。3票差でマルコスが勝利し、「今後もマザー・マルコスが舞踏団を指揮します」と言い渡されます。
「本日最初の練習は20分後、アイリス・スタジオにて」と館内アナウンスが流れ、ダンサーたちが集まります。ブランはダンサーたちにスージーを紹介し、早速「民族」という題目の練習を始めます。
「あなたが全てを操ってる」と突然叫ぶオルガに、「パトリシアはテロ集団と関わっていたから身を隠したのよ」と宥めるブラン。「こんな狂った場所は出ていくわ!」と暴れ出すオルガ。「代わりに主役を踊りたい人はいる?」とブランが問うと、スージーが「私が踊ります」と立候補します。
踊りを披露したものの、最後はめまいで倒れてしまうスージー。「倒れるダンサーは使えない。でも、よく踊れてたわ」と褒めるブランに、タナーは「新たな候補ね」と言います。
スージーが踊りだすのに釣られるように、オルガは鏡張りの部屋に吸い込まれていきます。そしてリズミカルに腕や足があらぬ方向に曲がり続け、最後は部屋の真ん中で肉塊となり果てます。
「みんな、オルガを痛めつけないで」と女性が言うと、女性たちは鎌のようなものをオルガの足や腕に振り下ろし、引っ掛けます。オルガはそのまま鏡の裏にある小部屋に引きずられていきます。
ジョセフはパトリシアの診療メモを見返し、全ての線の中心にブランがいることに気づきます。「若い女性が失踪した可能性があります」と通報するジョセフ。
サラは「オルガの言っていたパトリシアの話が不安なの。なぜか寮母たちはパトリシアをよく思っていなかった」とスージーに打ち明けます
第三幕「借り物」
土砂降りの中、マルコス・ダンス・カンパニーを訪ねる二人の警察官。「責任者のマルコスさんとパトリシア・ヒングルという女性のことで話したい」と男は女性に問います。
スージーとサラはパトリシアとオルガの書類を捜しますが忽然と消えています。スージーが奥の小部屋を覗き見ると、そこでは警官の下半身を露出させて、女性たちが大笑いしていました。慌てて部屋を出る二人。
団員たちがストレッチしている部屋に入ってきたブランは、「新しいテーマの作品に取り掛かるわ。テーマは”再生”。スージーだけは思いつくままに踊って。本能を見たいの」と言います。
第四幕「取り込み」
ハイジャック犯はモガディシュに向かうことを要求していると放送するラジオ。
ジョセフは警察署を訪ねますが、警官たちは「全室見たけれど何も思い出せない」と言います。「パトリシアは、”彼女たちはおぞましい行為を何ヶ月にもわたってしている””魔女の集会をしている”と言っていた」とジョセフは訴えますが、警察はもっと重要な事件を抱えているのだと追い返されてしまいます。
ジョセフはマルコス・ダンス・カンパニーから出てきたサラに「私はパトリシアの友人なんだが…」と声をかけます。「パトリシアによると、指導者マルコスの力は衰えているが、革命的な組織だそうだ」とランチを食べながら言うジョセフ。ジョセフはパトリシアの妄想メモを見せて説明しますが、サラは「舞踏団に秘密はない。もう来ないで」と拒絶します。
鏡張りの部屋にスージーを誘い、ジャンプの演技を指導するブラン。「ブランが前とは違うやり方で準備している」「パトリシアに器になることを強いたのが問題だった」と話し合う女性たち。より高く跳べと指示するブラン。スージーはやっとできたと微笑みます。
食事会の最中、女性が突然首にナイフを突き刺し、自殺します。
鏡張りの部屋から続く小部屋を発見したサラは、そこで鎌のようなものを見つけます。
パトリシアによると三人のマザーはキリスト教以前から存在しており、マルコスはそのうちの一人だそう。舞踏団はマルコス派とブラン派に分かれているらしく、ジョセフは「君は危険な連中と暮らしてる。パトリシアは監禁されてる可能性もある。君は寮を出るべきだ」とサラから鎌を没収して言います。
RAFの主要メンバーが自殺したというニュースが流れます。
第5膜「マザーの家で(全てのフロアは暗闇)」
赤い紐だけの衣装を着る団員たち。「彼らに殺されかけたのね。これから公演が始まるから、彼らに気づかれない」とサラはパトリシアを救出しようとしますが、何かに怯えて逃げ出します。サラは地下室から出ようとしますが、のたうち回り、苦痛の悲鳴をあげます。
「準備は整った」とブランは報告されます。舞台の中央に歩みだすサラ。公演に来ていたジョセフは目を見張ります。激しさを増す踊り。公演の最中にサラが痙攣を起こし、絶叫します。団員たちは手早く彼女を部屋の外に連れ出します。あっけにとられるジョセフと観客たち。
第六幕「サスペリオルム/ため息」
踊るスージーを見ながら、「今夜やるしかない」と覚悟を決めるブラン。
深夜に外出するジョセフ。劇団の怪しげな証拠を川に投げ入れます。帰宅したジョセフを待っていたのはアンケ。強制収容所に入れられた後はブリストルで新生活を送っていたそうで、ジョセフは侵攻のときに死んだと聞かされていたようです。抱きしめ合う二人。
いつの間にかマルコス・ダンス・カンパニーの前に来ていたジョセフ。オルガはそばにはいません。
地下室では裸の女性たちが踊っています。「私に罪はないはずだ!」と叫ぶ裸のジョセフ。「お前の内側は空っぽになるのよ。私に明け渡すために。やっと実現する」と言う醜いつぎはぎの老婆。「迷いのない儀式にしたい。なにかおかしい。中止しないと」と言うブラン。マルコスはブランの首をはねます。「お前は誰だ?お前は三人の中のどのマザーに?」と怯えるマルコスに、「私こそがマザー・サスペリオルムよ」と言うスージー。突然現れた怪物に悲鳴を上げるマルコスと女性たち。恍惚とするスージー。踊っていた女性たちは悲鳴を上げて逃げ惑います。「マルコス」と呼ぶ女性たち。スージーは胸を割り開き、「私こそがマザーだ」とうっとりとつぶやきます。「何を望む?」と問うスージーに、「死を」と答える団員たち。サラもまた死を望みます。「踊り続けなさい。美しいわ」と団員たちに言うスージー。横たわるジョセフはうなされます。
マルコス・ダンス・カンパニーから出てきたジョセフは、「良い夢を。おやすみなさい」と女性に見送られます。おぼつかない足取りで帰っていくジョセフ。
エピローグ「薄く切られた梨」
「すごい夜だったわ。飲みすぎた」と言う団員たち。「みんな聞いて。ブランが辞めました」と団員たちに言い渡す女性。
ベッドに横たわるジョセフを訪ねるスージー。スージーは「娘たちの残酷な仕打ちを止められなかった。お詫びに真実を教えるわ。奥さんは森林警備隊に捕まって強制収容所に送られ、極寒の中で凍死した。友人二人と一緒で孤独ではなかったわ。あなたと初めて手を繋いだ日を思い出したから寂しくなかった」と言います。「あなたを苦しめた女たちの記憶は全て消える。私達には人の罪と恥が必要だけど、あなたは違う」と言って、彼女は消えます。引きつけを起こすジョセフ。「君は誰だ?」と問うジョセフに、「セザムです」と答える家政婦。
まとめ

私が本作に興味を持ったのは、「魔女社会をLGBTコミュニティーのパラレルとして描いた作品だ」と論じておられる方がいらしたからです。マザー・マルコスの老いて醜い姿はまるで「ベニスに死す」の老作家グスタフのようであり、スージーは最初からマルコスの視線を意識していると。
引用:『サスペリア』(2018)「クローゼット」が同性愛であることを隠しているメタファーであると気が付くかどうか
実際に作品を観てみて強く肯定感を感じたのは、「マルコス=”ベニスに死す”のグスタフ」説についてです。
先に挙げられた「ベニスに死す」では、美少年タッジオ(ポーランド人)の美的身体を、醜い老作家グスタフ(ドイツ人)が追いかけることで、グスタフの醜さはより醜悪なものへと変化していく(ナショナリズムが加速していく)と論じている記事がありました。
引用:中村剛彦 映画にとって詩とは何か④ 『ベニスに死す』における政治と詩
ざっくりと言ってしまえば、本作はスージーという理想的な美的身体を前にして、マルコスを中心とする魔女集団はその美を讃える同調意識の集団と化す物語です。その意味で、「ベニスに死す」よりも、集団の誰も、死に至るまで美的身体への渇望に踊らされているという自覚がないという点において、より人々の視覚的権力への無防備さに警鐘を鳴らしていると感じさせられました。
また、本作がドイツを舞台にしたという点も、「ベニスに死す」との繋がりを感じずにはいられません。ヴィスコンティが描き出そうとした「ドイツ精神」の歪さを、ルカ・グァダニーノ監督はよりナショナリズムや排外主義の進む現代を生きる私達に再考してほしかったのではと思いました。

オリジナル版と比較して感じるのは、オリジナルにない要素がたくさん盛り込まれているということですね。
特に、オリジナル版の公開年である1977年ベルリンを舞台に定め、当時実際に起きたドイツ赤軍によるハイジャック事件を、サイドストーリーとして走らせている点は特筆すべきでしょう。
ドイツ赤軍とマルコス・ダンス・カンパニーの魔女集団は同一視されていると私は考えます。ドイツ赤軍が目指していたのは、資本主義社会の破壊です。そのために、彼らはさまざまな手段で既存の権力者たちに反抗しながらも、迫害から逃れるために普段は身を隠して活動していました。
これは魔女集団も同じですよね。キリスト以前から存在するという「マザー」を神と崇める魔女たちは、明らかに宗教団体としてマイノリティです。しかも、構成員は女性ばかり。ヨーロッパでは女性の社会的地位が長い間弱かったことも考えると、彼女たちは団体を守るために力を合わせて迫害を乗り切ってきたことが伺えます。
しかし、ドイツ赤軍も魔女集団も、ただの無害な弱者というわけではありません。
彼らは組織内で厳格な掟を作り、それに違反したものをむごいやり方で処罰します。どちらの組織も、構成員に対して、武装化・過激化しており、「搾取」をする構造を作り出しています。
本来ならばそのような「搾取する権力者」をこそ、ドイツ赤軍も魔女集団も厭い、志を同じくして集ったはずでしたが、皮肉にも彼らが批判する構造そのものを模倣する形へと変化してしまいます。
ドイツ赤軍は目標や存在基盤を失ったり、構成員が逮捕されたりして解散するに至りましたが、魔女集団はどうでしょうか?
マダム・ブランはマザー・マルコスのやり方に批判的な目を向けながらも、ついぞ彼女の方針を転換させることはできませんでした。魔女集団を内部から革命する役割を果たしたのは、スージー。スージーは自分こそが「マザー・サスペリオルム(ため息)」だと主張し、触れる者全てに安らかな死(もしくは忘却 ※ジョセフの例)を与えていきます。
ただ、スージーはマザー・マルコスをはじめとした魔女集団の重役たちを殺しただけで、それ以上に魔女集団を変える意図はないように感じました。後日映ったマルコス・ダンス・カンパニーの中に、スージーはいないように見えましたし。
映画の最後にスージーが観客(カメラの方)を見るシーンがありましたが、スージーは魔女集団をきっかけに「覚醒」し、世界にはびこるあらゆる魔女集団的な存在を破壊していくことを目的に生きていくのではないか?と私は思いました。それこそが、「マザー・サスペリオルム(ため息)」の生まれ落ちた存在意義なのかな、と。

作品冒頭で、ジョセフの部屋にユングの著書「転移の心理学」が映るシーンがあるのですが、それこそがこの作品の重要なテーマなのだと論じている方がおられて、個人的にかなり目からウロコでした。
引用:【ネタバレ考察】サスペリア(リメイク2018)の結末までの詳細に解説。戦争から心理学までに及ぶ内容とは
心理学用語で「転移」は、精神病患者が過去の重要な他者へ向けていた感情を、別の他者に向ける現象のことを指すそう。
思い返してみれば、たしかに、スージーを含めた団員がブランに向ける感情も、魔女たちがマルコスに向ける感情も、子が母に向けるような感情の転移であると考えられますよね。
ただ、「転移を克服するには、原因となった他者やその記憶と向き合うしかない」というのは、映画内で誰もが試みてはいたものの、誰もが失敗に終わっていた印象です。
転移対象を消すことで当事者が罪や恥から解放されるのは分かるのですが、それはあまり現実的な対応策ではないですよね。
これは架空の話だから、「消す」という思い切った対策でいいのかな。でも、これほど生々しい心のやり取りを追ってきて、最後だけがファンタジーな解決策というのも不思議な気がするし。と考え込んでしまいました。
今回3人が見た「サスペリア」は、Amazonプライムビデオで無料視聴できます。
ぜひチェックしてみてくださいね〜☺️✨