映画「ハーヴェイ・ミルク」のネタバレ感想|暗殺されたゲイ市政執行委員の生涯

映画

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1984年・第57回アカデミー長編ドキュメンタリー賞受賞作品、「ハーヴェイ・ミルク」

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登場人物とあらすじ


引用:Amazon.co.jp: ハーヴェイ・ミルク(字幕版)を観る | Prime Video

暗殺されたゲイ市政執行委員 のお話。

<あらすじ>
自らゲイを公言し、社会的弱者の権利獲得を訴えたサンフランシスコ市政執行委員ハーヴェイ・ミルクの活動を、1978年に同じ執行委員の男に暗殺された事件を中心に追っていく。
1987年に初公開され、2009年4月にも、同じハーベイ・ミルクを描き第81回アカデミー作品賞にノミネートされたガス・バン・サント監督作「ミルク」の公開にあわせてリバイバル公開されている。

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 ネタバレ感想

1978年11月27日、サンフランシスコ市政執行委員会長代行 ダイアン・ファインスタインは、マスコーニ市長とハーヴェイ・ミルク委員が市庁舎内でダン・ホワイト委員によって暗殺されたとマスコミの前で発表しました。
ミルクの在職はわずか11ヶ月でしたが、すでに職を超えた存在でした。暗殺の1年前、彼は遺言を録音しています。
「私が暗殺された時にはこれを公開してほしい。私のように目立つゲイの活動家は臆病な人間にとって格好のターゲットだということをよく理解している。いつか殺されるかもしれないから、考えを誰かに伝えておきたい。今まで自分のことをただの候補者だと思ったことはない。運動の一部であると常に思ってきた。今までの活動はゲイ運動の見地から行ってきた」。

1970年代のサンフランシスコ、ミルクの補佐官であるアン・クロネンバーグ「彼とは彼のカメラ屋の前で出会った。ここに移ってきて1年半ほど経った時、あの店は現像がうまいと聞いて行ってみたら、誰かを怒鳴っていて怖かったです」
政治顧問のトリー・ハートマン「本当に知り合いになったのは75年、流産した時です。私は心身共にショックを受けていました。退院して間も無くのことで、噂を聞いた彼が訪ねてきて、バラを抱えて立っていました。それから「欲しいものはない?買い物に行ってこようか?」と。名前は知っているだけでお互いそれほど親しくはなかったのに(笑)」
教師のトム・アミアーノ「いろいろな面を持った人で、特にユーモアが好きでした。深刻な時も気分を楽にしてくれました。一緒にいると違和感を抱かず気持ちが救われました。私が女っぽくて喋り方が変わっても、下品なことを言っても「ゲイの評判を落とす」なんて言わず温かかった」

ミルクの子供の頃は、のちの経歴を物語る兆候はありませんでした。
1930年5月22日、ユダヤ人の中流家庭に生まれ、ロングアイランドのウッドメアで育ちました。耳の大きな子は平凡な高校生になり、いたずら好きな普通の青年になったように、友人たちには見えました。大学卒業後、海軍に入隊。その後、ウォール街の証券アナリストになります。同性愛のことは黙っていましたが、14歳の頃から自覚していました。60年代に入ると彼は別の生き方を始めます。前衛劇団を世話し、ブロードウェイで芝居製作の仕事に就きます。70年代初頭は反戦デモに参加し、クレジットカードを焼き、サンフランシスコに移住。恋人スコットとカストロ通りにカメラ店を構えます。静かな地区は”カストロ”として有名になりました。ミルクは住民運動に専念し、カストロ通りの市長だと自認していました。
73年ミルクはサンフランシスコ市政実行委員選に出馬しました。多くの人々はお遊びだと思っていました。
自動車工のジム・エリオット「彼のことを知ったのは労働者協議会の時です。どの候補者を支持するか決めるために私は他の組合代表者たちと話し合っていました。決まったのがハーヴェイです。話し合いの最中、誰かが「彼はゲイだ」と言いました。組合や仕事場に戻り、「ホモを支持する」と報告するなんて…労働者も落ちたものだと思いました。でもすぐに彼が、ゲイバーからクアーズを締め出したと分かりました。全米中でボイコットを呼びかけていたけど、シスコの労働者街ではできなかったんです」
中国人雇用平等促進会理事長ヘンリー・ダー「彼についてはよく聞いていましたが、初めて会った時、変わった人だと思いました。彼は人類の調和とか非現実的なことを喋り、それを実現すべきだと考えていました。シスコのみならず全米でです。私は「不可能だ」ってつぶやきました」

73年から76年にかけて選挙に出馬し、3回とも落選しました。しかし回ごとに票を伸ばし、地区やゲイ・コミュニティの相談役となっていきます。
75年、ミルクは強い味方を得ます。マスコーニ新市長です。彼は市の総合的発展という信念を掲げていました。各地区、文化、民族グループに敬意を払ったのです。

マスコーニ市長「サンクエンティン刑務所の看守だった父を訪ねた時、電気椅子の使用目的を聞かれました。幼かったので信じられませんでした。この国は最も効率的だと教えられてきたのに、暴力を取り締まる唯一の方法が人殺しであり、政府も認めているなんて」
ミルクを含む協力者と共に、彼は住民の手による市の運営計画に着手しました。市全体の規模ではなく各地区で市政委員を選ぶ、地区別選挙です。

ジム「政治制度の改変というクレイジーな案でした。彼の店の裏で会合があり、私は「ホモと一緒に何をしてるんだ」と思いました。みすぼらしいカメラ店の裏部屋はお世辞にも綺麗とは言えず、壊れたソファやイスやジーンズの人々でいっぱいで、そこに彼がいました。立派な身なりなどしていなくて、労働者のようでした。人の扱い方がうまく、感情的になっている人を宥め、1つにまとめていました。感心しました」

有識者たちは地区別選挙の施行を決定しました。カストロ地区で新しい政治が始まったのです。ゲイライフを送るため多くの若い男女が集まり、カストロはブームになりました。毎夏、ミルクはカストロ祭を後援しました。それは住民の祭です。

彼はカストロから委員を出せると確信しました。77年、彼は4回目の出馬を決めました。今度は新しくできた第5地区からです。

ミルク「候補者が多すぎて人々が混乱してしまいます」
5ちゃんねる リンダ・シャクト「第5地区では7人の候補者が争っていますが、中でも有力な候補者は3人です。民主党と組合が支持する弁護士ホリナン、ホリナンは2人のゲイ、ストークス、ミルクと争っています。皆、自分が有力だと主張しています。しかしすべては浮動票にかかっているのです」
ストークス「私の方が先住者です。73年までミルクは無名でした」
ミルク「過去5年間、私は常にあらゆる問題について意見を述べてきました」

アン「出馬を決めた時、彼が電話してきて、会いに行きすぐに意気投合したんです。そして選挙運動を頼まれました。23歳でした。選挙運動に無知なパンク・キッドですよ。でも機会を与えてくれました。彼は文無しの上、一緒に働くのが難しい人でした。疲れたというだかで時々子供みたいにかんしゃくを起こすんです」
トリー「あの選挙運動は特別でした。それまで関わった選挙活動と比べて本当に変わってました。事務所にはとにかくいろいろな人がいて面白かったけど、彼に「あれは誰?」って聞きました(笑)何しろ暗い部屋で電話のライトが唯一明るいものだったんです。「アンだ。彼女はいいよ」と彼は言ったけど、彼にピッタリって思いました。今までとは違って大きな地区でやっていこうとしているのにら、大丈夫かしらと心配でした。アンは革ジャンを着た見るからにレズビアンだし、三揃いのジョン、彼が「僕の蓮の花」と呼ぶマイケル、2人の老婦人に印刷している人たち、商売も続けていたし、とにかく賑やかでした。薄汚いカメラ店の中ですべてやりました。「鯨を救え」から選挙活動まで」

雑多な人々がボランティアに来ました。11歳のメドラから70歳の女性までが彼を支援するため集まってくれました。ステキな人の渦でした。彼はほとんど自分から動きました。ラッシュ時には通りに出て選挙区を歩き、店を訪ね、戸別訪問しました。
47歳の時、4度目の出馬でミルクはサンフランシスコ市政執行委員に当選しました。

アン「彼が事務所に戻ると皆興奮しました。彼は私のバイクにまたがり、取り囲む人々の間を走り回ってました。皆歓喜そのものでした。単に当選したというだけでなく、今まで意見を言えなかったレズビアンやゲイが代弁者を得たんです。普段お酒を飲まない彼がシャンペンを頭からかぶったのでびっくりしました」
トム「彼のおかげで本当に嬉しかった。最高の気分でした」

5チャンネルのレポーター「何が何だか分かりません。アルフィはまるで大晦日です。こらは初のゲイの執行委員となったミルクのためのお祭り騒ぎです。おめでとう。すごい騒ぎですね」
ミルク「街中こうですよ」
レポーター「委員になった気分は?ゲイが市を乗っ取ると人々は心配してます。いかがですか?」
ミルク「私の使命は、市のあらゆる問題を改善することです。全市民のために働きます」

アン「記念すべきことでした。彼はあの勝利を4年間も待ったんです。誰もが喜びました」
ミルク「ありがとう、サンフランシスコ」

レポーターのジーニン・ヨーマンズ「立候補の取材の時が初対面でした。カストロのカメラ店の男が注目の的だと聞き、「カメラ屋のオヤジに政治が分かるのかしら」って全く期待していませんできた。でも会ってみるととても雄弁な人で、すごく感動し良い取材ができました。先入観を見透かされてるかんじでした。「”同性愛のカメラ屋”って思ってるでしょう」って。想像より遥かに強い印象でした」

レポーター「委員会にこれほど新顔が揃ったのはかなり久しぶりです。これは初めて地区別に委員を選出したためです。同性愛者ミルク、初の女性擁護者シルバー、初の中国系米国人ラウ、初の黒人女性ハッチ、選挙のため消防署を退職したホワイト。宣誓式の後、委員長にファインスタインを選出。6対5でラウは負けました。そこで提案されたのは満場一致で彼女を選出することでしたが、ミルクとシルバーはラウに固執。拍手が起きました。同席した市民たちは今後の活発な論争を予期しました」
ヘンリー「彼がダイアンを委員長に推さなかったことは、私たちを驚かせました。「このゲイの委員は余計なことをしている」「政治的自殺行為だ」と思いましたから。でも彼は信念を曲げませんでした。ハーヴェイ・ミルクは改革を断言したんです。他の保守多数派委員とは違いました」
カリフォルニアで初めてのゲイの当選騒ぎの中で、別のタイプであるホワイトが見落とされていました。

レポーター「ダン・ホワイトは31年間南東地区に住んでいます。彼は”自慢の息子”という印象を与えます。清潔で老人を敬い、庶民的です。住民の競技会を考えたのも彼です。「この地区は心配ない」と語りました」
ホワイト「住民問題は市の問題です。交通、犯罪、教育、税金など、皆で解決しなければーアン!おいでよ!アンは強力な後援者です。美容院をやってます。
ミルクの地区とソフトボールの試合をします。彼らが優勝チームです。古い価値観がこの社会を作ったんです。困っている人を助ける世の中にしなくては」
ホワイトとミルクは新制度の象徴となりました。片や土地っ子の消防士、片やよそ者のゲイ。ミルクの勝利は支持者を満足させ、市庁舎を吹き込む新風を意味しました。

トリー「大統領に会いたがっていました。彼はゲイとの写真はイヤだったでしょうけどね。妹のルス・カーターは宣教シスターで、ゲイを認めていません。彼はユダヤ教ですが、「クリスチャンになれば同性愛が消える」と言われ、握手の時、皮肉たっぷりに反撃したのです。「あなたが私の手を握ってくださるなんて!何を触っていたかご存じないのに」って(笑)下品でしょ!彼女は唖然として何も言えませんでした」
ゲイの活動家 ビル・クラウス「奴が当選するまで、市庁舎とは無縁だと思っていました。行っても歓迎されず、居心地が悪いんです。委員の名前は新聞で見るけど身近には思えず、個人的な話なんてとてもできない。彼は全てを変えました」

レポーター「ミルク委員長、市政の外側から内側の人間になった感想は?」
ミルク「仲間入りしたこと?信じられない。特級階級…白人や権力者、ノン・ゲイー大金持ちも私を無視できない。すごい立場ですよ。シスコ中で黒人や黄色人種が対立し、ゲイは憎まれています。長い間この問題と戦ってきました。でも地区選挙と私の当選のおかげで調和が取れつつあるけれど完全ではありません。市全体のレベルで少数派や少数民族ーゲイやフェミニストたちが結束しなければ。それから一般組合員の結束です。強固な連帯を作れば、市政に影響を与えることができます
ミルクは問題を解決する政治的手腕を持っていた。例えば家賃、開発制限、交通機関、老人などの問題である。
ミルク「市の最大の犯罪は、老人に無関心な委員の存在です。そんな連中は早くくたばつてもらおう(笑)」

ジム「彼の全ての意見に同感でしたから、彼のことが好きで、偉大な男だと思いました。彼は立場をはっきりさせていました。住民の立場で公園、学校問題、警察の権力行使やすべての問題に対処していました。少数派としてのゲイのためにそして他の少数者、障害者、老人のために戦ったのです。ますます人々は彼の話に耳を傾けました。親身になって考えてくれたからです」
アン「「犬のフンの問題を解決したら市長になれる」って、彼は当選1ヶ月目に条例作りに取り組みました。、それが評判の記事になることを彼は知っていて、ネタ作りの天才ぶりを発揮したんです。記者会見の日、その場所に一足先に出かけ、芝の上にフンを置き、どうやって踏むか研究していました」

レポーター「ミルク委員がここで新条例を発表しました。フンを処分しないと罰金です。彼は市が条例を施行することを強調し、「無駄な論争はやめよう」と述べました」
ミルク「ニューヨークと同じくここでも必要な条例です。パイ皿や新聞、シャベルを使って工夫しましょう」

ヘンリー「投票機能導入問題で彼の役割は大きかった。彼は徹底的に騒ぎ立てました。市が投票機を買えば、英語ができず差別されている市民、中でも老人が楽に投票できると主張しました。彼はコップやダイアンとやり合いました。私は本当に感激しました。なぜなら彼は中国人コミュニティに聞くこともなく投票機は必要だと知っていたし、恩を売ることもありませんでした」

彼が最も心を砕いたのは市のゲイ条例でした。
ミルク「シスコにおける条例の最大の目的は自分がゲイだとガムアウトした人々が職を奪われるのを防ぐことです。例えばゲイ・デイ・パレードには医者30人が参加します。これは氷山の一角で、多くのゲイの医者はクビを恐れて隠れています。ここでは安心してゲイだと公言できるーそれが焦点です」
ホワイト委員は、これでは人々の反発を招くと言いました。
ホワイト「服装倒錯者がいるとします。”服装倒錯者”は女装をするのが大好きな男のことですが、教師の資格さえあれば学校側は拒否できません」
10人の委員がゲイ権利法案に賛成し、ホワイトだけが反対しました。市長は法の施行に喜んで署名しました。
アン「嫌がらせの手紙が届き、心の準備ができていなかったので動揺しました。ひどいことを言われて不愉快だったしうんざりしましたね。ゲイ・デイ・パレードで車の運転をした時、私は彼の暗殺を恐れました。彼は「考えないようにしてる」って答えたけれど…」
パレードでの主張はもう隠れることはないということです。全米から40万人のゲイとその友人たちが集まり、行進しました。
「彼らはアイオワやミネソタに帰って言うだろう。「すごかったを息子を見たような気がした」と」
ミルク「カムアウトしよう!」
ホワイト委員はゲイの日に反対し続けています。

レポーター「何が醜悪でした?」
ホワイト「裸の男女が歩き回っていました。個人的には気になりませんが、多くの人々は裸を好ましく思わないでしょう。異性愛者でも許されません。ゲイもこれには反論できまぜ。市では全てのパレードに裸を許可していない」
ベイタマ牧師「彼らは彼らの罪を公表することで市民権を得たがっています。しかし彼らは下品で不自然です。彼らをお創りになった神を恨んではいけません。あなた方の子供たちは同性愛者に狙われています」

77年から78年、ゲイ権利法は全米で撤回されました。カリフォルニアではジョン・ブリッグス議員が提案6号を州民投票にかけました。それは同性愛教師を締め出す内容でした。
ジョン「提案6号は両親の権利を守ります。体罰を加えて教え込もうとする者や違法である売春婦を教師にさせないのに、同性愛者は許されているのです」
提案6号が同性愛問題を家庭に持ち込んだため、ミルクは全州の注目を浴びました。
ミルク「子供たちを守る法律は既にあります。学校の管理人・州知事・新聞の編集者ー皆その法律を知っています。私は異性愛者に囲まれて育ちました。テレビでも新聞でも異性愛の洪水です。同性愛をさげすむ社会です。それなのになぜ私は異性愛者ではなく同性愛者になったのか?もし教師が手本になるなら、町には尼さんが溢れているはずだ」

言語理論教授のサリー・ギアハート「彼はブリッグス提案 反対戦争のために、ある程度の資金を必要とすることを知っていました。彼とは戦争基金の共同議長になったのがつきあいの始まりで、問題が激化するにつれ予想以上に理解し合えるようになりました」
レポーター「73年にミルクのことを真剣に取り上げた人はいません。しかし昨年全米初のゲイの市政委員に選ばれました。提案反対のベイ地区代表元高校教師のギアハートさんは、レズビアンで州立大教授です」
サリー「テレビ討論会で何を着るかを私たちは話し合い、典型的アメリカのママ・パパスタイルに決めました。身綺麗に保守的にね。家を出る30分前に彼が電話してきて、「イヤリングがないの!」。参ったわ」

ミルク「異性愛者が幼児虐待を犯すとあなたも認めてらっしゃる。幼児虐待が問題でないなら、なぜデタラメなビラを配り人々を騙すんですか?」
ジョン「性病と同じだ。知っていれば避けられる。人々が罠にハマらぬためです。そんな報告もビラの内容も知りません。虐待が論点なのではなく人間の95%はヘテロなんです」
ミルク「ヘテロもゲイも締め出したら?人数と虐待は比例するということですね」
ジョン「それは違う。虐待を防げないなら変人や同性愛者を除き、ヘテロを…」
サリー「なぜ同性愛者を除くのですか?ヘテロの男性による虐待が圧倒的に多いのに」
ジョン「根拠のない話です。初耳だ」
サリー「FBIや家族関係審議会、幼児治療センターなどたくさんの報告です」

サリー「提案6号が直面していたのは、価値観の衝突という2つの恐怖です。ゲイは道徳的多数に潰される恐怖を感じました。つまり生活が脅かされていたのですから当然凄まじく反発しました。でも視点を変えると原理主義者も同じだったのです。一定の社会構成や性別役割を信じ、男女が関係すべき道を信じ、家族を信じ、神が言ったとされる言葉を信じ、彼らは人と関係し生涯を送ってきました。そこに突然”変質者”が現れ、別の生き方を素晴らしいと言うのは恐怖です。原理主義に根ざして作られたこの国の仕組みが、ゲイから攻撃されていたのです」

投票4ヶ月前の調査では、大多数の市民が提案6号に賛成。ゲイ教師に反対するだろうとの予想が出ました。

ビル「私たちはゲイ権利法の投票のたびに負けています。いつも大差でした。あの時の州投票でも悲観的でした。しすこだけの投票でも負けると思ってましたから」

レポーター「ブリッグスの支持層は州南部に集中しています。彼によると「シスコは道徳捨て場」です」
ジョン「もし堂々と同性愛者の生活を送ろうとするならば、職を賭けることになるでしょう」
ミルク「皆感情的で聞こうとしません。ドイツで起こった悲劇を繰り返してはいけない」
レポーターのリンダ・シャクト「ブリッグスは「他の州投票は予備選でカリフォルニアが決戦だ」と述べています」

トム「私に取って日常生活に関わる問題でした。ゲイ教師問題は微妙です。子供たちの親に向かって、「あれは噂です。子供にイタズラしてません」なんて言えませんよ。親は子供のこととなったら聞く耳を持ちません。ブリッグスはお調子者だけど側近は頭がいい。親の泣き所を突いたんです。学校問題については賛同できません。子供の教育者は美容師など他の職業とは違うんです。戸別訪問したり店に行けば資金は要らないけと、とても勇気が要りました」

ミルクの支援者「提案6号の反対運動をしています。すべての人々の人権を侵害するものなんです。どう思いますか?」
市民「何の意見もないのでノーコメント」
支援者「チラシを読んでいただけますか?有識者登録は?」
市民「済んでます。これは個人的問題ですね?」
支援者「そうですが…私の友人たちも失業するんです。たくさんの人々が苦しみます。一度差別を認めてしまうと、同じようなことが次々と起こるでしょう」

ミルク「何もしなければ彼らの勝ちです。人々は決定を迫られています。コソコソ生きるか、同性愛を公言して戦うか。歴史を見ればわたしたちがいつか勝つことが分かります。大統領や知事は少しだけ力を貸してください」
カリフォルニア州ロサンゼルスにて、ミルク「ジミー・カーター、聞いてくれ!人権擁護者として世界のリーダーになりたいなら、1500万人のレズビアンとゲイに応えてくれ!」
提案反対の草の根運動は効果を上げました。投票1ヶ月前の世論調査では接戦と出ました。人々は提案が人権侵害になると考え始めたのです。意外にも提案反対にはレーガン前知事、ホワイト委員までが名を連ねました。

レポーター「大統領は集会で演説し終えましたが知事に耳打ちされ演台に戻り、加えて有権者に助言しました」
大統領「フォードもレーガンも反対です。提案6号に反対投票をお願いします」

78年11月7日、提案6号は59対41の割合で否決されました。その夜市長とミルクはカストロの祝賀会に出席しました。ミルクは政治力の絶頂期にありました。

サリー「あの夜は、私の人生で一番エキサイティングな、同性愛者にとって最高の夜でした。夕方になっても勝敗が分からなかったんです。接戦でしたから。彼のおかげです。ゲイのために旗印を掲げ、委員会でも提案6号反対運動でも、戦ってくれたのは彼です。彼は私たちのシンボルでした。崩れそうなところに土台を築いてくれました。すごい歓声でしたよ」

ミルク「全ゲイ・コミュニティにメッセージを送ります。多くの人々の力で提案6号を否決できた。でも安心はできない。教育キャンペーンは続けなければならない。社会通念打ち壊さねばならない。声を上げなければ。そして最も大切なのは、カムアウトすることだ!難しいが家族や親戚に「ゲイだ」と公言すべきだ。本当の友達と思うなら友達に、近所の人に、職場の同僚に、行きつけの店の人に。そうすれば仲間がどこにでもいることが分かる。デタラメな社会通念やウソは一掃される。カムアウトすれば気持ちが楽になるだろう」
投票の4日後、ホワイトは執行委員を辞職しました。誰から見ても意外なことでした。安定した消防士から安月給の委員になり、新事業にも着手し子供もできました。理想主義を標榜して市庁舎し、ミルクと異なり仕事に不満を感じていたのです。庁内のゴマスリや妥協の雰囲気に馴染めませんでした。市長は後任を探さなければいけませんでした。

レポーター「その後問い合わせが殺到しているとか」
市長「電話もハガキも手紙もすごいし、彼が辞めた日の夕方からずっと電話は鳴りっぱなしです」
レポーターのデビット・ファウラー「ホワイトの前選挙区第8区です。住民は辞職に驚きました。彼は支持者にさえ相談していなかったのです。公約を何も実行せずやめてしまい、投資を捨てたと支持者たちは納得していません」
ホワイト「選挙や委員会で費やした時間を無駄にしたくなかったのですが?今は家族のことだけを考えられます」

レポーター「また振り出しに戻りました。ホワイトが委員への復帰を希望しています
ホワイト「10ヶ月で辞めてしまっては、お力添えくださった人々に申し訳ありません。金曜日に辞職したことは重大な決意でしたが、あの後家族や友人が来て委員を続けるように言ってくれました」
辞職は撤回不可能だと市の法務官は述べました。新委員の任命は市長の肩に掛かっていました。ミルクはホワイトの再任に猛反対しました。

アン「彼はダンが指名されると思い、市長に「彼は曖昧だから当てにならない」と言いました。勇気のある行為です。というのは、同意見の委員たちは恨みを恐れて口出ししなかったのです」

レポーター「市長は支持者の意見を聞いています。彼は彼を支持する消防士、不動産会社の代表者たちと市庁舎に来ました」
市長「問題は彼が人々に相談せず配慮のかけらさえ見せなかったことです。ナイーヴな行為だと思いますが、最善策ではありません。でも彼の体裁よりも大きな問題は、彼が8区の人々のためになるかです」
しかし彼の問題はある事件のため、舞台の奥へと追いやられました。ガイアナで900人が集団心中し、その多くがシスコ市民だったのです。11月27日に市長が発表するはずだった新委員は、ホワイトではありませんでした。

デニス「今日のシスコは町中が狂ってしまったようです。集団心中事件の全容が判明し始めている中で、別の悲劇が起こりました」
市長とミルクがホワイトにより殺害されたのです。「なぜやったの」というレポーターの質問には、ホワイトは口をつぐんだままでした。
10:45 再任されなかったと知ったホワイトは直接市長室へ行き、短い口論の後マスコーニを撃ち、倒れた彼の頭にさらに2発、弾を詰め直し、市庁舎の反対側にあるミルクの部屋で5発発砲。最初の1発でミルクが倒れたにも関わらず、彼はさらに3発発砲し、さらに屈み込み頭を目掛けて最後の1発を撃ったのでした。

アン「シアトルにいる家族へ会いに行くところでした。レズビアンだと打ち明けてから初の帰省です。飛行機は11:15発、事件は11:10、知る術がありませんでした」
サリー「叫び、街に戻って思いました。「なぜ皆普通に仕事ができるんだろう。歴史が変わってしまったのに」」
ヘンリー「白黒テレビをつけました。ショックでしたね。2人が無惨に暗殺されたなんて耐えられず、私は…オフィスを出ました」
トム「事件のことを人から聞き、ラジオをつけました。いつか起こると思っていたんです。人目も憚らず「ノー」って叫びました。いたたまれず車を飛ばし、市庁舎からかなり離れて駐車しました。裏口まで歩いていったら遺体が運び出されていて、それが彼だと分かりました。現実とは思えなかった。報道関係者でごった返していました。故郷のイタリアでは声をあげて嘆くのに、人々が静かだったことに胸を打たれました。沈黙していました」
ビル「車で直接市庁舎に行ったのですが、75人くらいしかいなくて、一瞬「これで全部?」って思いました。カストロ通りに続く道を曲がった瞬間、人の波ができていました
無数の人々ーそして深い深い喪失感でした。大切な人を失ってしまったのです。彼は皆のために戦っていました。

ジム「彼が殺され人々と一緒に行進したことを、悲しみの表現と呼ぶかは分かりません。他人の中なのに家にいるような安らぎでした」
トム「どこかの街角にいた黒人が叫び続けていました。「なぜ怒らないのか」と。私にも分からなかった。誰もが放心状態でした」
サリー「暴力に対する最も雄弁な表現でした。レズビアンもゲイも異性愛者も一緒に行進し、暴力以外の方法で国中に訴えたのです。ハーヴェイへの尊敬と惨事に対する深い後悔と悲しみでした。マスコーニも友人でした」
トリー「市庁舎へ行くとものすごい人の広がりでした。彼が見たら大喜びしたでしょう。私も皆も泣き出してしまい、ただただ”感動”でしたね。翌週、何人かがカムアウトしました。マーチに参加して偽りの生活に気づいたからです。本当に感動したからこそ嘘の生活を捨てて「ゲイだ」と言ったのです。それこそ彼が言ってきたことであり、死をもって証明したことです。社会の閉ざされた一部分が少し開かれたのです」

新聞では「街が泣いている」と大々的に報道されました。
11月30日木曜日、マスコーニの葬儀が行われ、12月2日土曜日、ミルクの遺灰は友人たちによって太平洋にまかれました。

レポーター「自分を再任しない市長と対立する委員を殺した理由は不明です。ホワイトの家は市の南東ロンドン街にあり、ここから実行委員に選ばれました」
隣人のクックは「いい奴だったんですよ。兆候は分からない。模範的青年でしたよ」と語りました。職場の同僚も「口論もしたことがありません。とても家庭的でいつも教会へ行き仕事熱心でした」と語ります。

暗殺から5ヶ月後、裁判が始まりました。
ヘンリー「裁判が始まり陪審員が選ばれた時、公正でない裁判になりそうな嫌な予感がしました。なぜなら陪審員にはゲイや少数派が選ばれず、ダンと違う政治見解を持った人がいなかったのです」
トム「暗殺を生んだ制度に事件が委ねられたため、一抹の不安が残りました。私たちが何をしようと彼は警察の保護下です」

検察側は動機は復讐にあると主張し、殺人を立証するのに3日間を要しました。弁護人はその事実を冒頭陳述で認めました。検察側が立証のためにかけた自白テープは裏目に出ました。何人かの陪審員は同情して泣いたのです。

ホワイト「仕事に関連した金銭問題や家族と過ごす時間がなくプレッシャーを感じていた。市長は結論を出す前に電話をすると言ったのにかけてこないので話に行った。悩みました。息子はまだベビーシッターまかせだし、妻も働きすぎてました。市長には再任するかだけを尋ねに行きましたが、私が良い委員ではなく皆も望んでないと発表する予定だと聞き、彼を撃ちました。ハーヴェイのことを思い出し、彼は私に対して正直だろうから話そうと思いました。残念だと言いたげにニヤニヤしていたんです!頭に血が上りカッとして撃ちました」

レポーター「死刑を免れるためには、殺人意図の不在を証明することです。検察側は計画的だと見ています。彼は銃と予備の弾を持っていて、窓から市庁舎内に入りました。入り口の探知器を知っていたのです。以上が殺人意図の証明だと述べましたが、弁護人はよくある入り方だし銃は護身用として他の委員も携行していると主張しました」

レポーター「彼は誰も撃つつもりはなかったと陪審に述べましたね?他の委員も許可証と共に銃を持っていると?」
弁護人「許可証には触れませんが、他の委員や職員が所持していると言いました。元警官などの職員は予備の弾丸も持っています」

ホワイトは政治の腐敗にうんざりした理想主義者で、市が荒廃し住みにくいと考えていたと説明されました。さらに弁護人は「良い環境にいる善良な人は冷酷に人を殺さない」と陪審に語りました。弁護側の重要な証人は妻のメアリー・アンでした。
1978年12月、メアリー「ダンを潰したプレッシャーを知っていました。私も感じていました。彼のために何かしてあげたいです」
弁護側の精神分析医は彼がジャンクフードの摂りすぎで極度の落ち込み状態だったと証言。一時の激情から殺人を犯したとし、「故殺」とされるべきだと主張しました。裁判は11日間で終了しました。

ホワイトは故殺を理由とし有罪であると陪審は評決され、2〜4年の懲役評決になりました。これは弁護人が陪審に要求したとおりの評決です。4〜12年の懲役で仮釈放の可能性もあります。
評決に反対する抗議デモが市庁舎前で行われました。人々は「ハーヴェイを忘れるな!」「正義を忘れるな!」と叫びます。

ミルクの後任であるハリー・ブリット委員「全てはホワイトの暴力から始まりました。今日の評決を出した陪審員も暴力的でした。ホワイトが黒人やゲイなら評決は違ったでしょうから。卑劣で暴力的な彼の人間性を認め、市長とミルクの思い出を攻撃したのです。私たちは怒りをもって反撃します」
トム「私たちが激怒したのはミルクが自由社会の財産だったからです。彼はガラスや窓のように取り換えが効かないのです」
サリー「私たちからは激しい怒りが吹き出しました。「正義なんてない、好きにやろう」と。でもふと違うと思いました。皮肉にも暴力に反対していた彼の死の原因も暴力です」
ヘンリー「評決が私たちに感じさせたことは、「社会の礼儀や他人の権利を無視しても、白人で中流階級以上ありさえすれば殺人を犯しても罪にならない」ということです」
ジム「彼が市長だけを殺したのなら終身刑になったでしょうが、悲しいことに人々の多くはまだゲイを殺すことは社会のためになると思っています。彼らと関わらなければ自分も同じように思っていたでしょうね。警官がゲイバーで彼らをいじめる話を聞き、どこが悪い?いいじゃないかと思ったものです」

84年1月7日、ダン・ホワイトは出所。5年半の刑期中、精神科の治療はありませんでした。

「この国のどこかで若者が自分がゲイだと気づくとする。両親にバレたら勘当されるし、級友にはあざ笑われる。道徳主義者はテレビから説教を垂れる。許される選択肢は「隠し続ける」か「自殺」だ。ある日新聞に”同性愛者当選”と出る。新たな選択は”カリフォルニアに行く”か”残って戦う”かだ。当選の2日後、若い声の電話を受けた。ペンシルバニアからの「ありがとう」だった。ゲイを当選させるべきだ。そうすればたくさんの彼のような子供も、より良い世界へと明日への希望が持てる。希望がなければゲイだけでなく、黒人もアジア人も障がい者も老人もー希望やエッセンスがなければ諦めてしまう。希望のない人生は生きるに値しない。あなたが彼に希望を与えなければならない」

映画完成後、1985年10月21日 ダン・ホワイト自殺

 

まとめ

たこわさ
たこわさ

これが事実であるということに、絶望を感じます。

社会の少数派というだけで人間の基本的な権利さえ主張できない、命を奪われても文句も言えない。そんなことがあっていいのでしょうか…。でもそんな憤りの声さえも、少数過ぎてきっとどこにも届かないのだろうなと思うと、自分はなぜ生きているのだろうかという虚無感を感じます。

小錦あや
小錦あや

神は同性愛者など作らなかったと大真面目に主張する人たちが大勢いることにゾッとします。自分が同じ立場だったらとなぜ考えられないんでしょう。なぜそんなにも想像力が欠如しているのでしょう。生まれながらに特権的地位に生まれた人間というのは、より選民思想の深みにはまっていってしまうものなのでしょうか…。

イスラム教の「聖戦(ジハード)」の考え方を思い出し、神を盲信し、教えのためなら人を傷つけても構わないと考える愚かな人間たちにうんざりしました。

逆襲のゆりこ
逆襲のゆりこ

本作が完成した後、ホワイトが自殺したっていうのが面白い(面白いと言っては語弊がありますが)ですね。彼こそ何としてでも生き続けて贖罪すべきだったのに、彼が弱い人間だからこそ人を殺めてしまったし、最後は自分自身さえも殺めてしまったんですね…周囲には善良で完璧な人間だと思われていたようですが…哀しい人だ。

今回3人が見た「ハーヴェイ・ミルク」は、Amazonプライムビデオ、dTV、U-NEXTで無料視聴できます。

ぜひチェックしてみてくださいね〜☺️✨


引用:Amazon.co.jp: ハーヴェイ・ミルク(字幕版)を観る | Prime Video

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