複雑に絡み合う人物の関係やそれぞれの思惑、重厚な武侠の世界から目が離せない!アニメ化もされている古風中華BL!夢溪石「千秋」シリーズを読みました!
登場人物とあらすじ、どんな人にオススメなのかなど、ネタバレ感想とともにがっつりご紹介します!☺️✨
登場人物とあらすじ
<あらすじ>
正派の一門玄都山を司る沈嶠(シェン・チアオ)は戦いに敗れ、崖から落とされてしまう。
大怪我を負った彼を助けたのは、魔門、浣月宗の主・晏無師(イエン・ウースー)だった。
晏無師は自らの目的のために、どんな状況でも人の心にある善を疑わない沈嶠を翻弄していく…。
こんな人におすすめ
- 「魔道祖師」のような仙人の出てくる世界観が好き⛰️
- 気功や剣を用いた派手なアクションが好き⚔️
- 人の善性や悪性について考えたい💭
本作をもっとよく知るための小ネタ
①――第1巻のこだわりはどのあたりでしょう?第1巻で特に力を入れた点や好きな場面、執筆していて楽しかった場面などを教えてください。
私がいちばん好きな場面、情景は、物語のはじまりですね。万丈の断崖に、流れる川の水。ひとりの正道の掌教(門派を司る者)が戦いに敗れて崖から落ち、もうひとりの魔宗の主はその下を悠々と歩く。この場面を執筆している時、私の頭の中には同期するように映像が流れていました。交わる刀の光と剣の影、それは熾烈で素晴らしい光景でした。
引用:梦溪石先生インタビュー 2023/06/26 作家インタビュー|BL情報サイト ちるちる
②――『千秋』のタイトルの意味について教えてください
『千秋』というタイトルは、文章の中では「千年におよぶ歳月」と直訳することができます。しかし、優雅で美しい中国語の創作においては、直訳ではその趣きが幾ばくか失われてしまいます。この言葉は、ただ時を表している、というだけではありません。過ぎ行く時の中の江湖や、武術の頂を追い求める人たちが、辿り着きたいと夢にまで見る境地をも含みもっています。
物語の中にこんな一節があります。
「千秋過ぎし後、どのような者が色褪せずに、記憶に留まり続けるのでしょうか」
人はみな、不朽不滅に生き永らえることを望んでいます。自分の武術の道が栄光の名のもと記されることを願うのです。
しかし、長江が滔々と東に流れゆくよう、結局一代の傑物は瞬く間にいなくなります。彼らが消えた後、残るのはただ「千秋」のみ。
どうぞ、じっくりとこの物語をお楽しみください。
引用:梦溪石先生インタビュー 2023/06/26 作家インタビュー|BL情報サイト ちるちる
③――千秋を執筆するにあたり、物語の着想をどう広げていったのか教えてください
善い者とそうでない者、または善い者たちとそうでない者たち、このように設定が分かれている物語は世の中にあふれるほどあり、その定義や解釈は常に、時代や視点の違いにより変化し続けています。しかし、もし、ひとりの善い者が傷つけられたとしたら、彼は最終的に逆の立場、つまり悪人となってしまうのでしょうか?
一方で、「天下の人に背くとも、天下の人を背かせはしない」と考え、人の性は悪なりと頑なに信じる悪人は、心に決めたことを押し通す善人を目の当たりにした時、どう感じるのでしょうか?ふたりの間にどんな火花が散らされるのでしょうか。善と悪は永遠に相容れないものなのか?こういった疑問が、『千秋』を執筆することになったきっかけです。
引用:梦溪石先生インタビュー 2023/06/26 作家インタビュー|BL情報サイト ちるちる
ネタバレ感想
千秋
神仙の修練に関する全5巻の書「朱陽策」を求める、魔門三宗のひとつ浣月宗の宗主・晏無師は、天下一の道門として名高い玄都山の掌教・沈嶠が瀕死の重体で倒れているのを気まぐれに助けます。沈嶠が「朱陽策」のうち2巻の内容を知っていることから、彼と手合わせしながらその奥義を学ぼうとする晏無師ですが…。
あくまで晏無師は「朱陽策」の奥義を極めたいがために沈嶠を助けている(どれだけ裏切られても人間の善性を信じる沈嶠を捻じ曲げてみたいといういたずらな思いもあるとは思いますが)のですが、それにしては沈嶠のピンチに駆けつけたり、弱った沈嶠のために湯水のように金を使ったりと、優しくしてくれるなあ…という印象です。道侶になるか?と晏無師がふざけるシーンがありますが、冗談とはいえそれを言おうと思うくらいには沈嶠のことを好いているのだなあと感じます。
1巻では、自分より実力が劣っているはずだった、突厥最強と謳われる昆邪に沈嶠が負けた理由が明らかになりました。
郁藹は玄都山をより発展させるために突厥と手を組んでいますが、それをよしとしない周国はどう動くのでしょうか?沈嶠が突厥を警戒する周王・宇文邕から召集されたとのことで、今後の展開が楽しみです。
沈嶠は玄都山掌教には返り咲かない覚悟のようですが、市井の人々は彼の強さを目の当たりにして、昆邪に負けたのは何かの手違いだったのではと感じ始めているようですよね。沈嶠は武道を極めることにしか興味がなく、社会的地位や名誉にこだわりがないように見えます。晏無師は魔門に誘っていますが、全く心は揺れていない様子。とはいえ、今後晏無師とともに過ごすうちにお互いがどう変わっていくのか、はたまた全く変わらないのか、気になります。
千秋 2
晏無師は、合歓宗の長老・桑景行から愛刀である太華剣を受け取る代わりに、魔心を植え付けた沈嶠を差し出します。友と信じていた晏無師の手酷い裏切りに悲しみを覚えながらも、沈嶠は自分を凌辱しようとする桑景行に反抗し…。
沈嶠がなんと郁藹に盛られた相見歓の毒を根絶!しかしそのやり方がなんともエキセントリックで…桑景行と相打ち覚悟で根基(武芸者が最も重視するもの)を破壊しながら戦ううちに相見歓も一緒になくなったというわけです。とはいえ根基がなくなったのでもう武芸者としては終わり…と思いきや、『朱陽策』には根基を新たに構築する効用があり、起死回生することができました。まだ全盛期の半分ほどしか力は回復していませんが、それでもかなり盛り返してきています!嬉しい!
一方、「あなたは私を壊したいと思っていたのでしょう。この世に善意などなく、私のようなすぐに情に流される軟弱な人間は、はなから存在する価値がないと。私に人の心の残酷な一面を見せ、そして地獄に落ちてもがきながら、最後は地獄に沈んでその一部になってほしかったのではないですか」と沈嶠が語ったように、まさにその通りに面白半分で沈嶠を桑景行に明け渡した晏無師は、彼が仕える周国の皇帝・宇文邕の失脚を狙った郁藹(玄都山掌教)、雪庭禅師(仏門の代表)、段文鴦(狐鹿估の弟子)、広陵散(法鏡宗の宗主)の4人に袋叩きにされ、瀕死の重体に。間一髪のところで沈嶠に助けられるも、外傷も内傷も酷かったためか、謝陵と阿晏という二つの人格が出てきてしまうようになります。これは晏無師が意図しているのか、無意識なのか、いまいち分かりません。普段からふざけた言動しかしない人ですしね…。
二人は、かつて沈嶠が助けた斉国・彭城県公の陳恭から民を人質にして「玉髄を多く産出するじ羌に用心棒としてついてきてほしい。玉髄のある場所には、玉蓯蓉という内傷を癒やす植物があるから晏無師に使うと良い」と脅され、渋々じ羌へ同行することに。
晏無師が多重人格状態なのも心配ですが、そもそも沈嶠が晏無師を助けたのは彼が周国を手助けすることで周国が安定し、その結果、民が救われると思ったからです。晏無師は世間的には死んだと思われているので、浣月宗は烏合の衆状態。周国の治安も著しく悪化しています。とはいえ、民を人質に取られては沈嶠は陳恭についていくしかなく…。陳恭はもはや玄都山の掌教でもないので周国を支持することもできず(本人は玄都山を混乱させたくないので郁藹を倒すつもりはないですし)。歯がゆいです。
1巻では沈嶠と晏無師の間には明らかに距離があったので、3巻の表紙の状態に至るには2巻で一体何があったんだ?と不思議な気持ちでいっぱいでしたが、納得しました。
沈嶠の望む天下泰平は、晏無師を助けることで実現されるのか?沈嶠は全盛期の状態まで回復できるのか?「朱陽策」は集められるのか?晏無師の多重人格問題はどうなるのか?晏無師を苦しめ続ける「鳳麟元典」はどうなるのか?2人の仲はどうなるのか?
まだまだ謎がたくさん残っているので、3巻でそれぞれがどう解決されるのか楽しみです。
千秋 3
じ羌に到着した陳恭一行。晏無師は陳恭の持つ太阿剣の中に隠された帛書(「朱陽策」のうちの一つ)の存在を察し、その内容を会得して一層腕を上げます。それと同時に、己がどれほど悪意を傾けてもより磨かれていく沈嶠の美しい道心に感心するようになっていきます。
そんな中、周国王・宇文邕が実の息子である宇文贇に暗殺され、北方を統一していた周国が崩壊。晏無師と沈嶠は宇文邕に忠誠を誓っていた斉国王・宇文憲の七男である宇文誦を碧霞宗に匿ってもらうことに。すると、道門を代表する純陽観から十年に一度の試剣大会が行われるため参加しないかとの誘いが来て…。
陳恭がじ羌に行くのは、てっきり玉髄がとても高価な宝石で、斉国王に献上してより歓心を得たいがためと思っていましたが…まさか、硬度の高い玉髄で太阿剣を割り、中に入っている帛書を取り出して斉国王に献上するつもりだったとは!
陳恭には体のいい警護扱いをされた沈嶠と晏無師でしたが、特に晏無師にとっては玉蓯蓉で内傷を癒せましたし、帛書の内容がちょうど「鳳麟元典」の改善策と補強策に関するものだったので、「鳳麟元典」のせいで日々魔心の綻びが大きくなり苦しんでいた彼にとっては渡りに船といった成果でしたね。
ただ、沈嶠にとってはこの帛書は読んでも役に立たず、彼が知りたい残りの2巻はそれぞれ周国の皇宮である突厥人の阿史那と、天台宗が所蔵しているとのことで…まだまだ物語は長く続きそうで嬉しいです。
晏無師の気まぐれのせいで多くの苦難にぶち当たった沈嶠がすでに昆邪との戦いに敗れる前と同じくらいの武功を取り戻せていることも嬉しいポイントでした。
ただ、予想外だったのは周国王・宇文邕が実の息子である宇文贇に暗殺され、北方を統一していた周国が崩壊してしまったこと。晏無師、ひいては浣月宗は後ろ盾がなくなってしまい、烏合の衆状態に。沈嶠も晏無師を支持することで民の安寧を願っていましたが中原はまた戦乱の世に逆戻り。
父の忠臣たちを更迭・惨殺する宇文贇に反発するように、宇文邕に忠誠を誓っていた斉国王・宇文憲の七男である宇文誦を碧霞宗に匿ってもらおうと守り抜きます。
中原は一体どうなるのか…民の安寧は…?と不安に思っていた矢先、碧霞宗の外弟子である韓娥英が周国に投降したものの、斉国に忠誠心があるため、高紹義を主として支え、斉国復興の力になろうとしているとの情報が。ほとんど壊滅状態の碧霞宗がまた世俗の争いに巻き込まれるのではと不安です。
しかもそんな中、道門を代表する純陽観から十年に一度の試剣大会が行われるため参加しないかとの誘いが来ていて…趙持盈は碧霞宗の弟子不足を憂えているので大会には必ず参加するでしょうが、そこで何か問題が起きるのではと嫌な予感がしています。そもそも十年年に一度の大会がなぜ九年目という半端な年に開催されることになったのか、裏がありそうですよね?
本巻では「朱陽策」の一巻をさらに手に入れられたことと中原での政権争いが面白いポイントでしたが、さらに晏無師の沈嶠への捉え方ががらりと変わったことが胸キュンポイントでした!!
晏無師は初めは沈嶠を平凡な石ころだと侮り、彼を何度も手ひどく裏切ることで彼が絶望し悪意に染まるのを楽しみに待っていましたが、むしろ「沈嶠にとって過去の苦難は、自身を磨き上げるための過程に過ぎなかったのかもしれない。度重なる試練が原石を磨き、美しい玉が少しずつ輝きを放つように。この美しい玉こそが沈嶠の道心なのだ」と書かれているように、沈嶠の道心はますます美しくなるばかりで何一つ変わることはありませんでした。
そして、晏無師は思うようになるのです。「晏無師は認めたくなかったのだ。天下には自分が目を留めるに値する者などいないのに、どうしても心から消せない名前が一つあることを」と。
沈嶠など自分より非力で目をかける価値のない存在だと頭では思っても、心がそれを否定する…くうーっ!沈嶠は全く気づいていませんが、晏無師のこの変化、たまらないですね。1巻当時の二人の関係を思うと、遠くまで来たなあ…と感慨深くなります。
番外編では数年後の二人(道侶になった?)が描かれていましたが、ここに至るまでにあと何巻あるのか…!?なるべく長く読んでいたいと願うばかりです🥹✨
まとめ
天下一の道門として名高い玄都山の掌教・沈嶠は、突厥最強との呼び声高い昆邪との戦いに敗れて重傷を負い、武功と記憶と視力を失ったところを、偶然にも魔門三宗の一つ浣月宗の宗主である晏無師に助けられます。
非道な晏無師は、神仙の修練に関する全五巻の書「朱陽策」を巡る争いに、沈嶠を招き入れるのでした。
人の善性を信じる沈嶠と、人の悪性を信じる晏無師。正反対かつ全く相入れない二人が、命を助ける・助けられるというきっかけから、仲を深めていきます。
どれだけ情けをかけられようと、恩があろうと、面白半分で仇で返すことしかしない晏無師の悪意を、沈嶠の真っ直ぐな道心が少しずつ変えていくのです。
二人の関係性の変容もさることながら、群雄割拠した国々や宗派同士の栄枯盛衰のさまも面白く、まるで実際の歴史を紐解いて学んでいるような生々しさがあります。
歴史物が好きな方にはぜひおすすめしたい作品です。
「千秋」シリーズは、翻訳版全四巻(予定)。最終巻の発売が待ちきれません!