小野不由美先生「黄昏の岸 暁の天」を読みました!
登場人物とあらすじ、どんな人にオススメなのかなど、ネタバレ感想とともにがっつりご紹介します!☺️✨
登場人物とあらすじ
<あらすじ>
驍宗が玉座に就いて半年、戴国は疾風の勢いで再興に向かった。
しかし、文州の反乱鎮圧に赴いたまま王は戻らず、ようやく届いた悲報に衝撃を受けた泰麒もまた忽然と姿を消した。
王と麒麟を失い荒廃する国を案じる女将軍は、援護を求めて慶国を訪れるのだが、王が国境を越えれば天の摂理に触れる世界──景王陽子が希望に導くことはできるのか。
こんな人におすすめ
- 十二国記シリーズに興味がある📚
- 戴極国で起きた事件を詳しく知りたい🕵️♂️
- 「天も人も無情だ」という絶望感を味わったことがある🌍
ネタバレ感想
李斎が幼い戴麒を思って泣くシーンが好き
心も体も真っ直ぐに鍛え抜かれた名将軍・李斎が、幼い戴麒のことを思い出すたびに泣く姿が、まるで子を失った母親のようで胸が痛かったです。
特に、李斎が桂桂から芙蓉の花を贈られた時、その姿に戴麒を重ね「貴方はお幸せでいらっしゃるか?」と泣くこのシーン。
溢れる戸口から、花を抱いて駆け込んでくる笑顔。
「北の中庭には芙蓉が咲いてたよ」
差し出された花の一枝、李斎はそれと桂桂を見比べた。
「……桂桂殿はいくつにおなりだ?」
訊くと、擽ったげに十一になった、と言う。
「……そうかーーそうか」
含羞んだふうの桂桂の笑みが歪んだ。笑んだまま、水の中に閉ざされ、歪んでしまう。
「……李斎様?」
もう、その笑みが見えない。なので李斎は手を伸ばした。残された片手の中に置かれる手、小さく、温かく、気遣うように握り締められる力。
「……貴方はお幸せでいらっしゃるか?」
「僕……?あの、ええ」
「そう……」
李斎、と呼ぶ屈託のない声、李斎を見つければまろぶようにして駆けてきて、笑顔を向けてくれた。そこに飛燕がいれば必ず、撫でてもいいか、とー。
「台輔もちょうど、貴方ぐらいのお歳だった……」
「黄昏の岸 暁の天」五章 332ページ
戴国が改朝したての頃、戴麒は引越し祝いとして李斎に花を贈ってくれたんですね。
李斎は桂桂の姿にそれを重ねて、生きているはずなのにどこにいるのか探し出せない自分の無力さに苦悶の涙を流すんです。
李斎の人となりを全く知らない人でも、戴麒を思って涙する彼女の姿を見ていると、心から戴麒を愛し、尊んでいたのだな…と心を抉られるでしょう。
ましてや、十二国記シリーズを読んできた読者は李斎がどれほど戴国とその民と戴麒を思っているかを知っているので、涙が抑えられないはずです…(号泣)
李斎が「なぜ天は戴の民を助けてくれないのか」と絶叫するシーンが胸熱
李斎は本作中でたびたび「天がおられるならどうして戴の民を救ってくださらないのか」と絶叫します。
それはまさに読者の心の叫びそのもので、「天とは何なのか?人を苦しめるためにあるのか?あるのなら人を救うべきだし、ないなら干渉しないでほしい」という至極真っ当な意見です。
「天は王に仁道を以って国を治めよと仰いました。なのになぜ、仁道のために兵を出すことを罰されるのです?驍宗様を玉座に据えたのも天です。天帝が驍宗様こそが王者だとして、自ら玉座を勧めたのではないのですか。なのになぜ、天は王を守ってはくださらないのです」
「天帝がおられないのなら、それも結構。救済すら恵んでくれない神になど、いてほしいとも思いません。けれど、おられないのなら、なぜ兵をもって国境を越えてはならないのです?それはするのは誰ですか?罪と見定め、罰を下す者が入るなら、なぜその者は、阿選を罰してはくれないのです!」
黄昏の岸 暁の天 四章 274ページ
「これほど高い代償をーしかもゆえなく要求しながら、そうやって選んだ王に対して、天は何の手助けもしてくださらない。驍宗様に王として何の落ち度があったと言うのですか。それはもちろん、瑕疵のない王などいないでしょう。天にすれば、見限るだけの理由があったのかもしれません。ならばなぜ、阿選を黙認されるのです?あれほどの民が死に、苦しんでいるのに、なぜ正当な王を助け、偽王を罰してはくださらないのです!」
「天にとってー王はー私たちは一体何なのです!?」
黄昏の岸 暁の天 六章 389ページ
しかし悲嘆のあまり絶叫する李斎を、陽子は「救いがないことこそ天があるという証拠であり、天は人を支配するが、人は己を支配して生きていくしかない」と禅問答のようなことを言います。
「もしも天があるなら、それは無謬ではない。実在しない天は過ちを犯さないが、もしも実在するなら、必ず過ちを犯すだろう」
「だが、天が実在しないなら、天が人を救うなどあるはずがない。天に人を救うことができるのであれば、必ず過ちを犯す」
「人は自らを救うしかない、と言うことなんだー李斎」
黄昏の岸 暁の天 六章 390ページ
李斎の心身の痛みは想像するだけで身を切られそうなほど辛いものです。
にも関わらず、李斎のすぐそばで諫める陽子は、どんな気持ちだったのでしょうか。
陽子は李斎にというよりも自分自身にこれを言い聞かせているように感じました。
まとめ
戴極国がなぜ荒廃したのか。そして蓬莱へ飛ばされた戴麒はどうなるのか。
主にこの二点が、李斎という戴国の女将軍目線で語られます。
なぜ天も人も悪しきを罰せず弱きをくじくのかと悲嘆したくなる時、「人は自らを救うしかない」という自己責任論に行き着くのが、生きることの辛さの真髄ですよね。
最後は戴極国に戴麒と李斎が旅立つシーンで終わるのですが、2人がどうか幸せになってくれることを祈るばかりです。