須和雪里「文殊丸」のネタバレ感想|人間の業を見つめる哲学BL

小説

須和雪里先生「文殊丸」を読みました!

登場人物とあらすじ、どんな人にオススメなのかなど、ネタバレ感想とともにがっつりご紹介します!☺️✨

登場人物とあらすじ


高位の僧侶×美貌の稚児 のお話。

<あらすじ>
時は平安のある春のころ、天桃山の瑞調寺近くの森に白い鳥が姿を見せるようになった。
気味の悪いことに、鳥は夜な夜な文殊丸の名をさえずり続けていた。
そんななか瑠璃若とウロは、興味津々で鳥を見に出かける―。

 

こんな人におすすめ

  • 平安BLが好き👘
  • なぜ生きるか?どう生きるか?何が幸福か?と一度立ち止まって考えたい🤔
  • 樋口美沙緒先生など、哲学的・心理分析的なBL小説が好き📖

 

ネタバレ感想

①人の業の深さに腹が立ち、ままならなさに哀しくなる

冬弦(攻め)を目の敵にする悪徳坊主として、妙蓮という僧が出てくるのですが…こいつが本当に人間というのもおこがましいほど、性根から腐っています。善良な部下の僧が独学で煎じた薬を高値で売りつけ、さらには処方の仕方をろくに聞かなかったために罪のない患者を死なせ、その罪を冬弦に着せたり、お前のせいでと部下の僧を死ぬまで毎日殴りつけたりとやりたい放題します。

しかしそんな妙蓮は僧の中でも高い地位を得てのうのうと暮らしており、部下の僧は毎日のいじめに耐えきれず自死…。そんな話を聞いていると、「この世は地獄だ」と心が鬱々としてきます。

しかし、冬弦も同じように苦しみながらも、妙蓮は憎くとも人はどう生きるべきなのかと悩み惑い、仏に恥じない道とは何なのかを己に問い、歩んでいきます。その実直な姿は、どんな宗教にも通ずる徳の高さを感じます。

物語の中で語られる人間たちの姿は欲や悲しみに塗れていますが、その先に、人間はどう生きるべきなのかという問いの答えがあります。

 

②ウロや白眉ら、ファンタジックな存在が本当にいたかのような臨場感

本作では、「ウロ」という妖(元は熊野の山の神)と「白眉」という人語を話す長命のオウムが出てきます。

二匹は明らかに現実には起こりえないことを起こすことができるファンタジーな存在なのですが、この物語の中だと、本当にそれらがいたような、不思議な感覚に囚われます。というのも、須和先生の二匹の描き方が真に迫っているのです。ページの中で、二匹は本当にその時代に生きていたかのようにいきいきとしています。

阿弥陀如来や不動明王に化けてみたり、人の念を汲んで霊になって想いを届けてみたり…もしかしたら平安の世ではそんなこともあったのかもしれない、と思うと、なんとも、平安という時代にロマンを感じるのです。

 

③読後、一つの悟りを得られる

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物語の最後に、文殊丸(受け)が一つの悟りを得ます。

それは「この世の本当の悲しみ辛さは、自身が不幸であることではなく、心にかけた人々が不幸であることであり、逆に、喜びは、愛するものが幸福であること」ということです。

これまでその絶世の美貌ゆえにもてはやされたり、逆に虐げられたりと運命に流されるままだった文殊丸は、数多の人の生きる苦しみや喜びを見る中で、「幸せとは何か?」を常に己に問うていました。そしてその結果、得たのが「愛するものが幸福であることこそ真の幸福」というものでした。

人を思いやり、愛する心がなければ、そんな悟りは得られません。文殊丸はこの悟りを心に持ち続けるうちは、真に孤独になることはないでしょう。

毎日が不幸せな人、生きるのが辛い人、孤独だと感じている人は、ぜひ本作を読んで文殊丸の思いに心を寄り添わせてみてほしいです。

 

まとめ

平安の世。業の深い人々の生き様に胸が苦しくなり嫌気を感じながらも、その一方で人の善良さに救われる…。

この世は地獄だと思いながらも、生きねばならぬと一歩一歩を踏み締める僧と稚児たちの姿に、なんとも言えない哀しみや強さを貰います。

心を浄土に導いてくれる物語です。まるで仏教入門書のような名作BL

心を穏やかにしたい時、誰かを憎みそうで辛い時、全てに嫌気が差した時、心に何かしこりができたと思ったらぜひ手にとって欲しい優しい物語です。

文殊丸
作者:須和雪里
時は平安のある春のころ、天桃山の瑞調寺近くの森に白い鳥が姿を見せるようになった。気味の悪いことに、鳥は夜な夜な文殊丸の名をさえずり続けていた。そんななか瑠璃若とウロは、興味津々で鳥を見に出かける―。

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