ムシ擬人化チックファンタジー!樋口美沙緒先生「ムシ」シリーズを読みました!
登場人物とあらすじ、どんな人にオススメなのかなど、ネタバレ感想とともにがっつりご紹介します!☺️✨
登場人物とあらすじ
ハイクラス種タランチュラ、高校3年生×ロウクラス種シジミチョウ、高校1年生 のお話。
<あらすじ>
シジミチョウ出身で庶民の翼は、ハイクラス名家の御曹司でタランチュラ出身の澄也に憧れ星北学園に入学。
しかし実際の澄也は超嫌な奴で、あげくにすぐに手を出され!?
こんな人におすすめ
- 擬人化モノが好き👥
- 蝶やクモなど、虫が好き🕷️
- 愛について深く考えたい💭
ムシシリーズの読む順番
基本的には、刊行順に読むのがおすすめです。
ただ、作品内の時系列に従って読みたい方は、
の順番がおすすめです。
というのも、それぞれの作品のカップリング内容は
- 「愛の巣へ落ちろ!」→七雲澄也(高3)×青木翼(高1)
- 「愛の裁きを受けろ!」→澄也のいとこ・七雲陶也(大4)×蜂須賀郁(大1)
- 「愛の罠にはまれ!」→澄也の親友・兜甲作(弁護士)×郁の弟・蜂須賀篤郎(アルバイト保育士)
- 「愛の在り処をさがせ!」→シモン×澄也の患者・並木葵
- 「愛の在り処に誓え!」→同上(上の続編)
- 「愛の嘘を暴け!」→シモンの親友・フリッツ(医者)×シモンの弟・テオドール(大4)
- 「愛の星をつかめ!」→翼の親友・白木央太(パティシエ)×澄也の親友・雀真耶(学校の副理事長)
- 「もしも薔薇を手に入れたなら」→同上(上の番外編)
- 「愛の本能に従え!」→村崎大和(高1)×七安歩(高1) ※澄也が保険医、真耶が副理事長として登場
- 「愛の夜明けを待て!」→大和のいとこ・志波久史×大和の初恋相手・黄辺高也
- 「愛の蜜に酔え!」→有賀綾人(高3)×黒木里久(高1)
- 「Love Celebrate!Gold -ムシシリーズ10th Anniversary-」→「愛の巣〜」「愛の蜜〜」「愛の裁き〜」3カップルのお話
- 「Love Celebrate!Silver -ムシシリーズ10th Anniversary-」→「愛の罠〜」「愛の本能〜」「愛の在り処〜」「愛の星〜」4カップルのお話
となっているので、刊行順と作中の時系列が微妙にズレているんですよね。
とはいえ、それぞれの単行本ごとに物語は独立しているので、時系列順に読まなかったからといって、内容的に混乱することはないです。好きな順序で読まれてみてください。
ネタバレ感想
愛の巣へ落ちろ!
愛の巣へ落ちろ!
滅亡の危機に瀕した人類は、節足動物と融合し、身体能力に優れた「ハイクラス」と病弱な「ロウクラス」という階級を生み出しました。ハイクラスばかりが通う星北学園に入学した、シジミチョウ(ロウクラス)起源の青木翼は、受験のきっかけとなったメキシカン・レッドニータランチュラ(ハイクラス)期限の七雲澄也に会いに行きますが、「シジミチョウは嫌いだ」と吐き捨てられてしまいます。
シジミチョウの中でも、性モザイクと呼ばれる短命種であることから、特別に病弱な翼。それゆえに「何もしなくていい」と過保護に育てられていましたが、心は元気いっぱいな翼はそんな生活を「生きている気がしなかった」と言います。
自分が翼の親ならば、翼の母と同じことをしただろうなと思ってしまうのが、愛情表現の難しいところで…。翼の母は、翼を世界一愛しているからこそ、傷つけたくない、苦しめたくないんですよね。だから、「頑張らなくていい」「ただそばにいてくれればいい」と言う…。でも、それは本人にしてみれば、輝く未来に踏み出す機会を奪われ続けてきたのと同じことで…。翼に傷ついてほしくないときっととても不安に思いながらも、星北学園に入学を許した両親は本当に偉いし、息子のことを愛しているんだと伝わってきました。
「愛の巣へ落ちろ!」で印象的なのは、ハイクラスによるロウクラスいじめです。
澄也が勝手に欲情して翼を襲ったのに、「ハイクラスに庇護してもらうために売春したんだろう」と決めつけて翼をバカにしたり、「ロウクラスなんかに入部されたらうちの看板が傷つく」と部活の見学さえ許さなかったり、ほとんどのハイクラスは、「ロウクラス=バカで体が小さくて弱くて、自分たちハイクラスのおこぼれをもらおうと狙っている卑しい種」というふうに思っているようでした。そもそも、同じ人間として見ていないというか、バカにしていい存在、傷つけていい存在だと思っているようで…。
身の回りにロウクラスが多かった翼はそういった差別に遭ってこなかったので、星北学園に入学してから面食らっていました。
命の価値にも、存在の価値にも、階級があるのかよ……?
と呆然とつぶやくシーンがあるのですが、作中で一番かもと思うくらいこのセリフは印象に残っています。
命の価値も、存在の価値も、階級があるはずがない。なのに、ハイクラスの社会では、まるでロウクラスの命の価値も、存在の価値も、その社会的階級に比例するように低く思われている…。
読みながら、これって現実社会でもいろんな場面で起こってるなと思いました。女だから、年下だから、地方出身だから、性的指向がマイノリティだから…いろんな理由で私たちは差別される可能性があって、ここまであからさまではないにしろ、「私の命の価値って、存在価値って、こんなに低く思われてるの?」と差別されて愕然とすることってありますよね。だから、翼の苦しみって全然創作上だけのことじゃなくて、すごく「読者である私たち」に近い感覚だなと思いました。
結局、翼は自分をいじめるハイクラスたちに
お前ら、他人の足引っ張るのがそんなに面白いか?他人を蔑むのが、そんなに楽しいか?そうやって自分は偉くなったつもりかよ!誰だって明日死ぬかもしれない。命は必ず限りがあるんだ。そんなくだらないことに人生使ってる時間、もったいないと思わないのかよ!?誰も自分の人生を生きてくれない、自分の足で生き抜くんだ!
と啖呵を切ります。
翼は短命だから余計に「明日死ぬかもしれない」という言葉に切迫感がありますが、私たちだって予期せぬ事故や病で明日死ぬ可能性は多分にあります。自分の足で生き抜くんだと叫ぶ翼からは、命の火が迸っているのを感じられて、ああ、こんなふうに生きねばと反省させられます。
また、作中で澄也が
恵まれているかどうかはただの境遇であって幸せとは関係ない。幸せな人間というのは、自分の人生を生ききったヤツのことだ。
と言うのですが、これもしみじみと真理だなと思うのです。
「自分の人生を生ききる」ってものすごく難しくて、親のために人生を生きてる人、周囲に合わせてなんとなく人生を生きてる人って結構いると思います。自分の幸せって何?自分は今、自分の人生を生きられてる?って、澄也の言葉がぐさりと胸に刺さります。
また、作中で私が一番好きなのは、翼のこのセリフ。
生まれて、生きて、死んでいくことにもし価値があるのなら、それは誰かが自分を必要としてくれること。自分がいることで、誰かを支えていられること。ずっと、心のどこかでそう思ってきた。そうと確信していたわけではなくて、そうなれたらいいのにと願っていた。誰かに必要とされ、誰かを支えていたい。そうすれば、自分は生き抜いたのだと思うことができる……。
生まれて、生きて、死ぬ。それは生まれたものが必ず迎える運命です。いつか死ぬ時までに自分はどう生きたいのか。そう考えた時に、翼は「誰かに必要とされ、誰かを支えたい」と彼なりの答えを出しています。じゃあ、私はどうだろうか?そう考えさせられます。人生は一度きり。私にとって最高の人生とは、何なのでしょう。
「愛の巣へ落ちろ!」を読むたびに、それを考えさせられますが、いつまで経っても答えは出ません。こうして死ぬまで考え続けるのかも。
普段は、いつか必ず自分が死ぬことを直視するのが怖くて、日々に没頭している私。でも、「愛の巣へ落ちろ!」を読むと、ふと立ち止まりたくなります。自分の人生はこれでいいんだっけ?と。
「愛の巣へ落ちろ!」は、高速で過ぎていく日々の中で、一旦立ち止まり、自分の価値やこれからの生き方について考える勇気をくれる名作です。
愛とはかくも、恐ろしきもの
翼にまとわりつくハイクラスの生徒たちに嫉妬した澄也は、公の場所で翼にえっちないたずらをしかけます。しかし、「簡単な体だな」と澄也が言うので、翼はひどく傷ついて涙してしまいます。
敏感な体を持つ翼に澄也が「簡単な体だな」って言った時には、瞬間湯沸かし器みたいに激怒しかけました😂 言い方があるでしょ!とも思ったし、そもそも翼が嫌がってるのに嫉妬を理由に強引に抱くな!とも思って。
でも、澄也はこの時、
簡単すぎる翼が、かわいい。どんなに強がっても、どんなに気丈でも、結局は澄也に従順な翼の体がかわいい、と思う。それが翼の、澄也への愛情のせいだと知っているからだ。
と思ってたんですよね。そんなに敏感なのは俺が好きだからなんだな、と澄也からしたら愛情を噛み締めていた最中の言葉だったんです。完璧人間に見えた澄也が、翼との恋の前ではなんともポンコツで、なんだかそこも愛おしくなりました。
結局、澄也はなぜ翼が怒っているのかを本人教えてもらって、どうにか仲直りをするのですが、そういう些細な喧嘩も含めて「幸福」なんだと噛み締めている澄也がとてつもなく大人に感じられました。少し前まで、翼を好きだと認めることさえできなかったのに…。愛は人を大きく成長させるんだなあ。
ドラマCD
「愛の巣へ落ちろ!」は、2013年12月25日にドラマCDが発売されています!
前野智昭さん×下野紘さんという豪華な布陣です✨️
ドラマCD「愛の巣へ落ちろ!」の詳しいネタバレは、こちら⬇️
コミカライズ
「愛の巣へ落ちろ!」は、2020年1月29日にコミカライズもされています!
小説が苦手な方はまず漫画版でざっくり内容を知ってから小説版に入るのも良いかも👌✨
コミック版「愛の巣へ落ちろ!」の詳しいネタバレ感想はこちら⬇️
愛の蜜に酔え!
愛の蜜に酔え!
ハイクラスのクロオオアリの庇護なしでは生きられない、絶滅危惧種のクロシジミチョウを起源に持つ黒木里久は、クロオオアリ一族である有賀家の王候補である有賀綾人に淡い想いを抱いていました。彼も里久を好きだと言ってくれたのに、ある時急に「さようなら。俺は王になる。だからお前には、もう二度と会わない」と手紙で別れを告げてきて…。
ムシシリーズの中で一番好きな作品です。樋口美沙緒先生作品の中でもトップ3に入るくらい大好き。
その理由は、この作品は攻めも受けも「お互いが世界のすべて」だから。愛する人を守るためなら世界を敵に回してもいいと本気で考える二人に、私は羨望を抱いています。それほど愛していると思える人に出会えた二人が眩しいし、自分の愛する気持ちを信じて行動できる勇気はなかなか持てるものではないと思うからです。
言葉と行動を尽くして愛する人を慈しみ、守ろうとする二人の姿は、私の理想の恋人像そのもの。何度読んでも、二人のすれ違いには涙するし、両想いになってからもその尊さに涙してしまいます。
大好きなセリフは、たくさんありすぎて…正直に言うと選びきれません。全ページ、全行が見所かつ名言だと言いたいくらい。
その中でも、本作のテーマである、「弱さ」に関するセリフは特に心に刺さりました。
クロシジミチョウはクロオオアリの庇護なしでは生きられない弱い虫です。それゆえに、クロシジミチョウは「生きるために、クロオオアリの娼婦になってる種のくせに」と馬鹿にされることも多々。里久自身も、クロオオアリである有賀家から与えられる蟻酸なしでは死んでしまうことをよく理解しており、有賀家に対して強い引け目を感じていました。
しかし、里久を愛するがゆえに、完璧超人の綾人がすべてをなくしてボロボロになってしまう姿を見て、里久はこう思うのです。
クロシジミは、クロオオアリの助けがなければ生きていけない。それはとても特殊なようでいて、本当は大したことじゃないように、初めて感じた。大きな体でたくさんの能力に恵まれた綾人でさえ、たった一人で誰の助けも借りずに闘ったせいで、傷ついて苦しんでいる。本当は誰だって、誰かの助けがなければ生きていくのは難しいのだ。
今の里久は、知っている。綾人が本当はたった一人で、なにもかも背負おうとする人だということ。里久にどんな傷も与えたくない人だということ。そしてそれができずに、傷つき、苦しんでいる弱い人なのだということも。
助けてもらわなければ生きていけないことは、引け目を感じることではない。誰もが助け合って生きている。それは当たり前のことかもしれませんが、私たちはそのことを普段忘れて生きているように思います。特に真面目な人ほど、自分一人でなんでもやろうと抱え込んで苦しんでいる…。その「なんでもできる」強さも、ある意味で弱さなのだと…。
たった一人で悩まないでいいんだよ。弱さは誰にでも当然あるもので、周りに頼っていいんだよ。里久の言葉を読みながら、そう言われているような気持ちになりました。
お互いが世界のすべてだった二人が、世間の悪意に汚され、一度は愛を失い、それでも互いを慈しみ、また愛し合うまでの物語。
ドラマチックで、切なくて、どこまでも優しさと甘さに満ちているBL小説の名作です。
王子様のお人形
綾人と同棲しはじめた里久。綾人は里久とともに過ごす時間をこれ以上ないほど幸せに感じていましたが、里久がどんどん世界を広げていくさまに一抹の寂しさも感じていて…。
綾人の
もう、俺のガラスケースの中には入れられないんだな……里久は。
という落胆の気持ちはすごくよく分かります。
里久のことが何よりも大切だから、汚い世間の目には触れさせずに、傷つけずに、大事に守りたいと綾人は思っているんですよね。でも、守られているだけの里久だったら両想いにもなれなかったから、悩ましいところなんですが…。
里久の絵付けした食器が使われていくほど、私も寂しさを感じていました。もう「綾人にだけ特別にあげる」ことはなくなっめしまったんだな…と。二人の出会いは、里久の絵付けした食器だったからこそ、その大切な思い出の濃度がどんどん薄れていくようで…。
でも、
お店の食器も、全部、綾人さんとの思い出を描いてるんです。だっておれ、毎日描いても描ききれないくらい、幸せなんですもん。
と里久が言うのを聞いて、嬉しさのあまり、とろけちゃいました。なんてかわいいことを言うの、里久…!!それに、まさか綾人との思い出を絵にしているとは思いもしませんでした。こんな惚気の仕方もあるのか(笑顔)
どんどん里久の世界は広がるけれど、里久は絶対に綾人の腕の中に戻ってきてくれる…傷ついても自分が癒してあげられる、そう思うと、自由に羽ばたいでおいでと笑顔で送り出せそうですよね。
綾人、里久の惚気を聞いて嬉しかっただろうなあ。読みながらにやにやしてしまいました。
ドラマCD
「愛の蜜に酔え!」は、2015年7月10日にドラマCDが発売されています!
小野友樹さん×村瀬歩さんという、うっとりするほど甘く素敵なお声のお二人です🌹
ドラマCD「愛の蜜に酔え!」の詳しいネタバレ感想は、こちら⬇️
愛の裁きを受けろ!
愛の裁きを受けろ!
カイコガを起源とする蜂須賀郁は、父に連れられて参加した七雲家の社交パーティーで、ブラジリアンホワイトニータランチュラを起源とする七雲陶也に偶然助けられ、「生きるのに飽きた」という彼に一目惚れします。友人の紹介で、期間限定の恋人になれた二人でしたが…。
BL小説には珍しく、本作は攻めの陶也視点です。序盤だけ受けの郁視点なんですが、そこでの郁のモノローグが自分はかなり印象的でした。
(郁は知っている。)本当はどんなにたくさんのものに恵まれていても、それは幸せのようなものでしかなくて、本当の幸せはもっとべつのところにあるということを。
父の望むように生きてあげたいという情と、傷つくことへの恐怖が、郁を不自由にしている。けれど積み上げられた幸福のまがい物に、本当は、倦んでいるのだ。
郁は父の愛玩動物のようになっている自分を「幸福の紛いものに囲まれている」と自嘲しており、「本当の幸せ」を得たいと焦がれています。
郁は年相応に自立した生活を送りたい、それで自分が傷ついても構わないと考えていますが、郁の父は郁を愛するがゆえに、彼を傷つけないように、守ろうと必死なんですよね。その父の愛は「幸福の紛いもの」だと断言する郁の冷静な視点に衝撃を受けました。
誰だってなるべく傷つきたくないものだろうし、強い誰かに守ってもらえるなら幸せじゃないかと私は思っていたからです。なので、郁のお父さんの気持ちが痛いほど分かるんです。でも、郁にとってはそれは本当の幸せではないのだ…。
とはいえ、たしかに何から何まで管理されて、用意された幸福を享受し続ける生活は辛いだろうとも想像できて。もし自分が郁の両親だったら、短命だと分かっている息子に対して、どうすれば悔いなく愛せるのか、守れるのか…郁の好きにさせたい気持ちと、守りたい気持ちの間で、苦しいです。
また、陶也は郁とお試しで交際するうちに、澄也を失ってから「半身を無くした」と思うほどに落ち込んでいましたが、幸福の紛いものに囲まれる日々に倦んで、心に空いた穴を、郁を守り愛することで埋めたいと望んでいる自分に気づいていきます。
そして、ロウクラスを侮蔑する郁の弟・篤郎を見ながら
篤郎は自分と似ているのかもしれない──階級意識と愛情乞食を一緒くたにして、自分の心を自分でがんじがらめにし、孤独にしているのに、それに気づいていない。
と評します。
最終的に陶也は郁から「篤郎への申し訳なさから、交際を続けるのは難しい」と別れを切り出されるのですが、
もしもいつかまた、郁と出会えたら。その時には、せめて今よりもいい自分になっていたい。郁との未来を、今度こそ思い描ける自分に変わっていようと陶也は決めた。
と、ロウクラス専門の弁護士になると誓います。
「愛の巣へ落ちろ!」での陶也の最低男っぷりを知っているからこそ、郁と出会ってからの陶也の豹変ぶりには驚かされます。
紛いものの幸福を眺めて万能感に浸って思考停止していたけれど、郁という自分とは対極にいる人間(体の弱さや寿命の短さという意味で)と存在と対峙したことで、それまで積み上げてきた彼なりの常識をすべてとっぱらわなくてはいけなくなり、そこで初めて自分が本当はどんな幸福を求めていたのかを再考できたのかも。
それにしても、「階級意識と愛情乞食を一緒くたにして、自分の心を自分でがんじがらめにし、孤独にしているのに、それに気づいていない」はあまりにも的確な表現すぎて…。
最後に、陶也は郁との未来が描けなかったからという理由で別れを受け入れましたが、いつかそれは描けるようになるのかな。未来が描けるってどういうことなんだろう、愛してるだけじゃだめなのかな…と悩んでしまいました。
続・愛の裁きを受けろ!
七雲陶也と別れて4年、蜂須賀郁は細々と筆耕の仕事をして一人暮らしをしていました。父に頼み込んで今の生活を手に入れたものの、周囲からの腫れ物に触るような扱いに傷つく日々。そんな中、郁は行方不明になっていた篤郎の居場所を突き止めて…。
「30歳まで生きられたらいい方」と言われてきた郁は、今27歳。あと3年以内に自分は死ぬだろうから、自分が死んで空ける穴を小さくするために生きなければと、篤郎と家族の仲を取り持つために必死です。
ただ、郁は、そうして生に執着がないふりをしながらも、本心では、自分が死んだ時、愛する人に「あの子を失うことをもう恐れなくてよくなった」とホッとされたくない、その人の自分への愛がほんの少しでも怯えに浸食されるのを見たくないという死への怯えとわがままから、誰をも愛さず、愛されないように努めていました。
しかし、そんな郁と再会した陶也は「自分が、死ぬときのために生きてるのか?」と郁に怒ります。そして、ようやく郁に再会した陶也はプロポーズするんです。
その言葉が本当に本当に素敵で…作中で一番好きだし、めちゃ泣きました。「続・愛の裁きを受けろ!」は全ムシシリーズの中で最も愛の名言が多い作品だと思うのですが、その中でも陶也のプロポーズの言葉はぶっちぎりNo. 1です。
俺は、たぶん郁と出会うために生きてきたと思ってるよ。そしてお前は、俺と会うために生まれてきてくれたんだ。
本当のことを言うと、俺は、生まれてからずっと孤独だったと思う。もっとも俺はお前に出会うまで、自分が孤独だなんて、知らなかった。四年間、お前に会えない間、俺はとても苦しかった。でもお前を愛していたから、一度も孤独にはならなかった。一度も。お前がもしいつか俺より先に死んでしまったら、俺は泣くだろう。思い出すたび、苦しいと思う。でも、きっともう二度と、孤独にはならない。
「生まれてからずっと孤独」だったのに、「お前を愛していたから、一度も孤独にはならなかった」し、郁を失ったとしても、郁との思い出があれば「二度と孤独にはならない」とはっきりと言い切る陶也。
孤独というのは計り知れないほど深いものです。隙間があれば心に忍び込み、人を揺らがせます。なのに、陶也は郁と愛し合えた思い出さえあれば、もう二度と自分は孤独にならないと言います。それは、どれほど深く強い愛なのか…想像を遥かに超えています。言葉では言い表せないほど、陶也が郁を求め、郁以外では駄目なのだと強く願っていることが感じられますよね。
この陶也の愛の告白に、郁はいよいよ観念して「愛してしまったら仕方ない」(翼のアドバイスもあり☺️♥️)と腹を括ります。そして、
生まれて生きて、死んでいくことに、もしも意味があるとするのなら、それは愛すること、愛されることなのかもしれない。それなら郁は、残りの時間のすべてを、たとえ短くても陶也に愛されることに、陶也を愛することに使おうと決めた。
と、陶也を愛し、彼に愛されて生きていくことを決意するんです。
私は「愛の裁きを受けろ!」で、郁がなぜ陶也との別れを選んだのかがいまいち分かっていませんでした。だって、郁も陶也もお互いをはっきりと愛しているのに、どうして篤郎に気兼ねして別れなければならないの、恋愛は二人の問題でしょう、とモヤモヤしていたんです。
でも、篤郎を引き合いに出したのは言葉のあやで、本当は、郁は陶也が自分の死に怯えている姿を父と重ね合わせて苦しかったからだったのだとやっと分かりました。それに、陶也の方も、郁の父と同じように、郁の死後についてある意味で真剣に考えられていなかった、郁の死を看取る決意を本当にはできていなかったから、郁も陶也も「このままでは二人とも幸せな未来を掴めない」と思ったんですね。
4年という長い歳月が、特に陶也をぐんと大人にしましたよね。陶也のひたむきな愛が郁に届いてよかったと、何度読んでも涙が溢れます。
Something good
ロウクラス専門弁護士として、薄給ながら忙しい日々を送る陶也は、郁と出会えない日々の中でも彼を思い出しては、贈りたいものをぽつぽつと買い込んでいました。クリスマスが迫ったある日、子どもに「善いことをしたら、ちゃんとお返しがくるのよ」と言い聞かせる母親を見て、陶也は自分がする「善いこと」について考えます。
陶也って聖人みたいだと思うことがあります。それを印象付ける一番のエピソードがこのお話です。
陶也は郁と会えない間、ずっと「善いこと」をし続けます。その理由も、どんな善いことをしたかも、陶也は誰にも言いません。ただ、黙々と、善いことを重ね続けます。その理由が彼の独白で語られるのですが…。
自分には、サンタクロースはいらない。贈り物はいらない。一生涯、なにもいらない。ただ郁に必要な幸福を、ありったけ、陶也の善いことの見返りを贈りたい。次に二人が出会えるとしたらそれは、陶也のためではない。郁のためだと、陶也は固く信じている。そして、それでいいのだ。ただこの世界のどこかで、郁が生きていてくれさえしたら……。
陶也は、自分のかつての負債を引き受けてくれたように、自分が善いことをすることで郁にそのお返しが戻ってきたらいいと信じてるんですね。郁と再会してからも、陶也のその考え方は変わりません。
郁からはもう、一生分の贈り物をもらっている。郁がこうして陶也のそばにいてくれるだけで、陶也は、死ぬまで贈り物をされ続けるだろう。そのために陶也はただ、今日も明日も明後日も、善い人間であろうと思える。
澄也を失ってからまるで廃人のようになり、ロウクラスなんかと侮蔑し、紛いものの幸福の中でつまらなさそうに生きていた陶也が…今は郁の幸せのためにただひたすらに善いことをしようと努めている…。
陶也の郁への愛の純粋さ、ひたむきさ。それはもはや神に遣える敬虔な信徒のようで、その真っ直ぐな美しさに私は涙を堪えきれません。
ドラマCD
「愛の裁きを受けろ!」は、2016年11月18日にドラマCDが発売されています!
興津和幸さん×斉藤壮馬さんという、どこか儚く色っぽいお声のお二人の共演です♥️
ドラマCD「愛の裁きを受けろ!」の詳しいネタバレは、こちら⬇️
愛の罠にはまれ!
15歳でドラッグにハマり24歳で薬物嗜癖の更正施設に入るまで廃人同然の生活を送っていた蜂須賀篤郎は、「かわいそうな子」を愛して楽しむ、元同級生で政治家秘書の兜甲作に「付き合おう」と口説かれます。しかし、30歳になれば許嫁と結婚するから期限付きの恋愛だとも言われ、篤郎は「愛はそんなものじゃない」と反発します。
「愛の裁きを受けろ!」の受け・蜂須賀郁の弟である篤郎が本作の主人公です。ハイクラスの友人たちに郁を薬漬けにさせた上、レイプさせた篤郎でしたが、本作では薬への依存生活からすっかり抜け出し、郁への罪悪感を抱きながら希死念慮と戦う日々を送っています。
篤郎といえば、兜の「期限付きの恋愛」の提案に対して怒りを露わにするシーンが思い出深いです。
お前は誰かに、愛されたいと思って、でも愛されなくて泣いたこと、あるか?愛されてなかったらと思うと怖くて、たった一言が言えない苦しみを、味わったことは? 愛したことで、相手を傷つけて……もう二度と、取り返しがつかない。そんな痛みを、経験したこと、あるか?そんなふうに冷静に……相手が望んだから離れられるようなら……それは愛じゃない。愛じゃないんだよ。それはただの親切で……愛とは、言わない──。
お前はそれなりの愛しか、一生知らない。一生、それなりにしか、人を愛さない。
兜の言う愛は、本当に愛なのだろうか?と思いながら読んでいただけに、「それなりの愛」「親切」という篤郎の言葉はこれ以上なくしっくりくるものでした。
また、篤郎は兜への愛を自覚した後に
愛は痛みと苦しみの裏腹にあるもの。けれど愛していれば、きっと愛していれば、その愛がまたいつか、喜びを、生きていく力をくれる。だから人は愛することを、やめられないのではないだろうか?その愛がいつか痛みに変わっても、もっと同じくらいの強さで、愛は、生きる力をくれることを、心のどこかで誰もが知っている……。
と独白しています。郁を、兜を、痛い苦しいと思いながらも愛さずにはいられなかったのは、その愛が篤郎を生かしていたから。
郁のためにと行動すれば父から怒られる、兜を愛しても酷い言葉しか返ってこない、それでも、郁の嬉しそうな顔や、兜の不器用な愛を感じていたから、それに篤郎は生きる喜びを見出していたから、愛さずにはいられなかったんですね。「愛が生きる力をくれる」から、「人は愛するのをやめられない」というのは、私の心にとても深く響きました。
また、本作で大活躍するのが、澄也や兜の幼馴染である雀真耶こと、真耶様!
真耶は兜の篤郎レイプ・妊娠事件にいたく憤慨し、篤郎を守り育てます。その中で、二つの重要な言葉を残しています。
きみの罪と、兜のしたことは、まったく別の問題だよ。裁きを下すのは人間じゃない。法や世界の理、それから自分自身だ。高潔に生きるために必要なのは、感情じゃない。意志だ。
償いたいなら、きみは辛くても、幸せになる努力をしなければ。……幸福になるためには、それなりに苦しむことも、必要なんだよ。運じゃなく、意志の力で、なるものだからね。
郁への罪の意識で苦しむ篤郎に、「償いたいなら幸せになる努力をしろ」と喝を入れるのです。悪いことをした人は、一生懺悔し続け、日陰を歩く生活を続けなければならない…のではなく、真耶様は「幸せになるために苦しむことが償い」なのだと言うんですね。幸せになるには意志が必要だからと。これは目から鱗でした。
過ちを犯した人はどう生きるべきなのか、一生幸せになってはいけないのか…犯罪事件を見聞きするたびに感じていたモヤモヤとした疑問が晴れていくようでした。
本作はムシシリーズの中でもかなり特殊な作品だと思います。受けが前科者というかなりヘビーな設定なので、更生をどう描くかというところが焦点になっていました。特に、篤郎が事件を起こした理由が、「郁を愛するがゆえに、失うことが怖くて自分から郁を壊そうとした」というものだったので、愛と罪について深く考えさせられる一冊になっていると思います。
ドラマCD
「愛の罠にはまれ!」は、2016年12月26日にドラマCDが発売されています!
平川大輔さん×松岡禎丞さんという、力強くも繊細な演技が光るお二人です💪
ドラマCD「愛の罠にはまれ!」の詳しいネタバレは、こちら⬇️
愛の本能に従え!
愛の本能に従え!
アニソモルファとヤスマツトビナナフシのハーフである七安歩は、異形再生治療(体を女性化すること)に失敗した星北学園高校一年生。そのために実の親に捨てられ、誰にも愛されない苦しみを抱えながら、気配を殺して生きる歩でしたが、オオムラサキの特性ゆえに「寝取り寝取られ」性癖のある同級生・村崎大和に強姦されて…。
ヤスマツトビナナフシの特性ゆえに存在感のない歩ですが、「誰からも愛されない自分を変えたい」と思っているところから物語は始まります。歩をイメチェンさせようと頑張る後家スオウとチグサの双子コンビの奮闘も微笑ましいのですが、どんなに頑張っても自分の存在に気づいてもらえない歩の不憫さがかわいそうであり愛おしくもあり…。
そして、歩はどこででも脇役な自分とは違い、どこででも主役な大和への強烈な憧れと淡い恋慕をひっそりと抱いています…が、オオムラサキの特性である「同じ種の恋人を寝取ったり寝取られたりする」という複数プレイに巻き込まれてしまい、大和に強姦されてしまいます。
本作のテーマは「本能(性欲)は愛か?」なのですが、まさに大和の歩への愛し方がこの問題そのものなんですね。
大和は自分の「寝取り寝取られ」の本能を抑えたいと長年願い続けてきたんですが、実は歩はアニソモルファの血のせいでかなり精豪気味。なので、歩とセックスすると精を搾り尽くされるということもあり(一番は、好きな人とセックスすることで心が満たされるからだと思うのですが)、歩への気持ちはどうなのか考える以前に、「歩と寝れば、寝取り寝取られ本能に乗っ取られずに済む」と大喜びします。
セフレかつ幼馴染の黄辺から、「歩くんのこと好きなの?」と恋しているのかと問われても、「恋はよく分からないけど、本能を抑えるのに都合のいい相手だから」と悪気なく言ってしまう、デリカシーのない大和😂
とはいえ、歩の方も、アニソモルファの血が暴走するとフェロモンを撒き散らして誰彼かまわずセックスしたくなるので、それを抑えるために3日に一度はセックスをする必要があり、その意味で、歩にとっても大和は「本能に都合のいい相手」です。
しかし、歩は大和のことをもともと好きでしたし、抱かれるほど心が彼に傾くんですね。でも、大和は歩といきなり体の関係から始まったので、恋とか好きとかはよく分からない状態。それ以前に、寝取り寝取られ本能をとにかく抑えたい。彼の望みはそれだけ。
そういうわけで、大和と歩はすれ違ってしまいます😢
歩ははじめ、「本能(性欲)ではなく、愛されたい」と主張します。けれど、徐々に
誰かと抱き合って幸せになりたいっていう欲なら……それは愛に近い気もする。
と考えるようになっていきます。
一方の大和も、はじめは歩を寝取り寝取られ癖を抑えるための性具のような感覚で見ていた(かもしれない)のですが、どんどん歩と抱き合うこと自体に幸せを感じ始め
心と本能って、分けられないんだ。どっちの俺も、お前がほしいと思ってる。
と打ち明けるようになります。
本能(性欲)が先か、心(愛)が先か。もしくは、心(愛)の方が、本能(性欲)よりも大切なのか。
一見、心(愛)こそが全てと思われがちですが、本能(性欲)の根源も結局は心(愛)だから、二つは私という車を動かす両輪のようなものなんですよね。二つの概念は対立するものではない、と分かったのは、個人的に目からウロコでした。
本能(性欲)と心(愛)の関係は複雑に感じられますが、歩と大和が高校一年生なりに、いや、だからこそ?、真っ直ぐにこの問題に体当たりでぶつかっているので、とても歯切れ良く心地よく考えることができました。
青春のまばゆさと、痛みと切なさに溢れた、ムシシリーズ一清々しくてキュートな二人のラブストーリーです。
本能は恐ろしい
寝取り寝取られ癖のせいで離婚済みの二人の兄から「浮気されないように気をつけろ」と注意される大和。歩に限ってそんなことはあり得ないと思いつつも、心配になってしまい…。
本編は歩視点でしたが、こちらは大和視点。
大和がどれほど歩を可愛いと思っているかが赤裸々に語られ、読んでいる読者が赤面してしまうほど😂 ラブダダ漏れで大和も可愛すぎる!
幼い頃からハイクラスに囲まれて育ってきた大和は、ハイクラスならではの「デカい」「強い」「声が大きい」人間たちは見慣れていても、ハイクラスとはいえあまり目立たない起源種を持つ歩のようなそっとしたか弱い存在はほとんど出会ったことがないからか、特別庇護欲をそそられるようです。
大和は「この可愛い歩を自分に引き留めるためにどうすればいいか、考えなければ」と真剣に頭を悩ませていましたが、大和のそのストレートな愛情こそが歩を引き留める鍵だよ〜とニヨニヨしてしまいました😆💕
まったく素直なラブラブカップルめ!最高です👍
ドラマCD
「愛の本能に従え!」は、2020年11月18日にドラマCDが発売されています!
内田雄馬さん×天﨑滉平さんという、フレッシュな魅力あふれるお声のお二人です🎾
ドラマCD「愛の本能に従え!」の詳しいネタバレは、こちら⬇️

愛の在り処をさがせ!
性モザイクの男子高校生・並木葵は、同じ性モザイクの尊敬する七雲翼が一人息子を幸せそうに育てているのを見て、「自分も子供を産めば幸せになれるはず」と思うようになります。虚弱で短命な性モザイクと結婚したいという男性はなかなか見つかりませんでしたが、ケルドアという小国の太公が性モザイクを結婚相手に探していると聞き、前のめりに応募することに。
ムシシリーズの中で、唯一2巻にわたって恋物語が綴られたカップルがこの「シモン×葵」です。
二人の愛の物語はスケールもひときわ大きければ、愛の問答も深く、かなり読み応えのあるものになっています。
これまでは日本の中での話に限られていましたが、攻めのシモンはケルドアという国の太公(皇族のようなイメージ)様!日本のいち男子高校生が、卒業後にケルドア国の太公家に輿入れという、なんとも夢のある序章になっています。
さらに、葵は15人もの優秀な兄と姉がおり、虚弱で短命な葵は忙しい母親から「ハズレ」のような扱いをされてきたという過去を持っています。それゆえに、愛したい・愛されたい・淋しくなくなりたいという気持ちが人一倍強く、同じ性モザイクの翼が楽しそうに子育てしているのを見て「子供ができれば幸せになれる」と盲信している節があります。
対して、シモンは母から異常な執着を向けられ、「グーティ・サファイア・オーナメンタル」という種としてしか愛されなかった(個人として誰からも愛されなかった)という過去を持っています。それゆえに、シモンは母の言う愛がいわゆる愛ならば、それはエゴだと思い続けてきました。
愛を理解できないシモンと、愛し愛されたい葵。この物語では、愛とは何なのか、愛されない淋しさはどうすればなくなるのかを考えていきます。
はじめは、葵は「愛されれば淋しさはなくなるはず」だと信じてケルドアに飛びますが、迎え入れてくれたシモンは愛を知らず、むしろ愛という名の元に押しつけられるエゴを憎んでいました。
シモンを愛したい、愛されたいと願う中で、葵は一つの答えに辿り着きます。
たとえ一生、愛しているとは言われなくても。たとえ一生、淋しさはなくならなくても。愛されたいから愛するのではなく、愛したいから愛して。淋しくなくなるために愛するのではなく、淋しいから愛するのだと思えば、一緒にいることはきっと難しくない。
シモンは個人として誰かに愛された経験がありません。それゆえに、大切な人をどう扱ったら良いのかが分からず、実の弟テオや葵が、母や側近、メイドたちに傷つけられそうになった時に、自分から遠ざけて見守るということしかできませんでした。それが彼なりの愛の表現だったのです。
シモンからどんなに遠ざけられようと、葵は彼に愛を伝えるために、彼を愛で支えるために、そばにいようと決意するのです。
愛されたいから、淋しくなりたくないからではなく、ただ、愛したいから、愛する人のそばにいる。その行動こそが愛なのだと葵は考えるのです。
愛されなかったという過去は、とても辛いものです。特に家族という近しい存在から愛されなかった経験は、私たちの心を一際傷つけます。
葵は、自分を愛さなかった、傷つけた、母を許そうとしたと独白しています。ただ、子供を愛せない親よりも、愛されない子供の方がずっと深く傷ついているのだとも言っています。
親が子供を愛さなかったことは親自身にどれほどの傷を心に残すのか分かりませんが、少なくとも親から愛されなかったという経験は、子供が成長してからも、何度もフラッシュバックしては、その子の自信や尊厳を根こそぎ奪っていきます。葵が「親に愛されなかったことは子供にとって一生の傷になる」という意味は、とてもよく分かります。
でも、起こってしまった過去(愛されなかったという事実)は変えられません。そして、自分を愛さなかった人を変える(自分を愛してくれるようになる、自分を傷つけた過去を謝ってくれるなど)ことも難しいことでしょう。では、どうしたらいいのか。
愛されること、淋しさを消してくれることを他人にまず求めるのではなく、自分が愛したいから他人を愛するのだと、淋しいから一緒にいればいいのだと、葵は教えてくれました。
人はひとりで生きていきたくても、なかなかそうできないものです。淋しさを感じたり、愛したい・愛されたいと思ったり、悩みまどう人は多いと思います。
葵の言う「許し」や「淋しさ」「愛」に対する一つの答えは、自分を含めて、似た傷を持つ人々の希望や生きる指針になると感じました。
愛の在り処に誓え!
愛の在り処に誓え!
葵を、空を、テオを、愛するがゆえに一人ぼっちになろうと決意したシモンに、愛ゆえに「誰からも愛されなくてもシモンを一人にしない」と覚悟してテオドア公国へ向かった葵と空。空は国民悲願のグーティということで熱狂とともに受け入れられたが、葵はタランチュラではないというだけで侮蔑どころか殺意を向けられ…。
愛や情に関する情緒が7歳(母のアリエナに死んだ兄たちと自分を混同された)時点で止まっているシモンですが、葵が命の危機に晒されたことで、否が応でも、自分の葵に対する感情・愛と情について深く考えさせられることになる…というのが、この巻のメイントピックです。
前作は全編葵視点ですが、本作はシモン視点も多めなので、鉄面皮の下でシモンが何を考えているのかが分かって面白いです。
シモンは葵を愛するがゆえに、葵を傷つける全てのものを許さず、それらを葵から遠ざけようとします。葵を傷つける国民がいれば感情のままに激怒し、左遷させることを徹底していました。しかし、自分たちに仕える全ての人間が信用できなくなった時、シモンは「葵を閉じ込めるしかない」と思い詰めます。
けれど、シモンはそれを実行しようと思いながらも、同時に「こんな激情はまるで母のようだ」と恐れ慄いてもいました。そばにいたいと懇願してくる葵を跳ね除けて、葵を守るという理由で彼を監禁しようとする自分の愛は恐ろしい、醜い…と。
自分自身の愛に怯えるシモンに、葵は言うんです。
アリエナ様は、いつだって自分のために苦しんでた。でも……お前は違う。……お前は俺が傷つくことに、苦しんでる。国民を愛せなくなることに、苦しんでる。お前はいつも、誰かのために苦しんでる。
そして、「お前はいい子だよ」とシモンを抱きしめるんです。
葵に自分のありのままの愛のあり方を許されたことで、シモンは己の弱さを再確認し、その上で葵の愛を信じて、彼に寄り添ってもらいながら生きていこうと決めるのです。
相手の強さを信じるには、愛がいる。できることはなんでもしようと、常に手を差し伸べるには、情が必要だった。
というシモンの独白は深く、長い間、愛など単なるエゴだと切り捨てて生きてきたシモンがこんなにも変わるなんてと涙が溢れました😭
例えば母が子を育てるように、何かをしてあげること、与えることももちろん愛ではありますが、シモンと葵のように、嬉しい時も辛い時も、ただそばに寄り添って、愛する人の努力を陰ながら支えてあげること。それもまた立派な愛(逆に言えば、愛する人が傷つけられるのが辛いからと、自分から遠ざけたり監禁したりすることは、一時的な解決にはなっても、長い目で見ればそれは愛ではないのかもしれない)なのだとしみじみと感じました。
歪んだ親子愛から始まった、シモンと葵の凸凹な恋の物語。二人が空という子を持つことで、親としてと恋人としての二つの種類の愛について考えさせられました。
愛の在り処は今もまだ
5人ものグーティの親となった、シモンと葵。毎夏恒例、海沿いの別荘地へ家族で遊びに行き、シモンは幼い頃のことを思い出します。
短命な性モザイクの葵は、もうそろそろ30歳。澄也の研究のおかげで性モザイクの寿命は飛躍的に延びたものの、いつまで生きられるから未知数です。いつ死んでもいいというように精一杯生きている葵に、胸が苦しくなります。
本編ではずっと「セックス=子作りの義務作業」と苦痛を感じていたシモンですが、葵に自分の愛をありのまま受け入れられてからというもの、葵とのセックスに幸福感を抱くようになります。
閨の中でだけ、「私のアオイ」と囁くなんてずるすぎる!!そんなの骨抜きになっちゃうよ〜とドキドキしちゃいました。
もし自分が沖まで泳いだら自分を見ていてくれるかと問うシモンには泣いてしまいました。シモンの父も母も、グーティという種だけが大切で、シモンを一人の子どもとしては愛してくれなかったということがひしひしと感じられるエピソードですよね。葵が当然だというように笑うのが愛おしくて、それにも胸が熱くなりました。葵にとっては、大切な人を慈しむことは当然で、笑ってしまうくらい当たり前のことなんですよね。
二人と子供達が飽きるほど、シモンと葵がこの海岸に何度でも来られますようにと祈らずにはいられないお話でした。
悩める太公シモン・ケルドア(電子限定書き下ろしSS)
懐妊中の葵に何かしてあげたいシモン。しかし、駆けつけてくれた翼は葵になんでもしてくれ、シモンは途方に暮れてしまいます。しかしそんな中、空もシモンと同じように寂しさを抱えていて…。
「赤ちゃんのために頑張ってる葵を助けたい」と思いながらも、赤ちゃんに葵を取られたようで寂しい空。そして、同じく葵のために何かしたいと思うのに、翼に全ての役割を取られたように思って寂しいシモン。
幼稚園から帰ったらパパと遊ぼう、そのあとはママとおやつを食べよう、と提案してくれるシモン…パパとして理想的すぎる!と咽び泣いてしまいそうになりました😭
自分は父から愛を受けたことがないのに、こんなにも子供の心に寄り添って優しく子育てができるなんて…シモンの努力に感動します。素直にシモンの提案に乗ってくれる空もいい子すぎる。
最後に、翼と張り合わなくていいのだと分かるのもいいですよね。たしかに、シモンと翼では全然立場が違うのだから、張り合う必要なんてないんだった、とハッとさせられました。シモンは、本人は意図してなくても、ちゃんと葵が求めてるものを汲んであげられてる良いパパだよと抱きしめたくなりました。
愛の星をつかめ!
愛の星をつかめ!
ハイクラスの子息が通う星北学園の副理事長 兼 ヒメスズメバチの名門である雀一族の当主代理である雀真耶は、誰にでも平等に接する清く正しい麗人です。しかし、近々姉が当主になるため、真耶はお役御免に。「代理」ばかりの人生だと嘆息する真耶の前に現れたのは、長年かわいがっている弟分の白木央太で…。
ムシシリーズを愛する全ての読者が大好きであろうキャラといえば、そう。雀真耶様です。
どうしても「様」をつけたくなってしまうのは、それほどまでに真耶様が多くのムシシリーズキャラに対して、時に厳格な父のように鞭を振るって進むべき先を示し、時に母のように溢れる慈愛で傷ついた心を包んできてくれたからです。
これまでのほとんどの巻で、攻めの勘違いや暴走によって傷つけられた受けたちを、真耶様がどれほど救ってきたか…。真耶様の活躍なくしてムシシリーズは語れないと言い切れるほどです。
誰もが「高潔」「清い」「正しい」と口を揃えて崇め奉る真耶様ですが、本作ではそんな彼の意外な内面と事実が明らかになります。
それは、真耶様は確かにほんの少しの正義感と信念を遵守して生きているけれど、彼にはそれ「だけ」しかないということ。そして、女性優位のヒメスズメバチを起源とする雀家において、男性である真耶様は「望まれずに生まれてきた子」であり、「要らない子」であると生まれてこの方ずっと家族から突きつけられ続けてきたということです。
ポラリスのように輝く母を筆頭に、真耶様の周りの人々は誰しもが愛し愛され、懸命に命を燃やし、星のように光っています。けれど、真耶様は人々の羨望などの幻を通してしか光ることができない透明な星だと自覚して生きてきました。そしてそんな真耶様の苦悩を、同じく望まれないスジボソヤマキチョウを起源として生まれてきてしまった白木央太だけが知っていました。
自分の本質について、真耶様はこう語っています。
清く正しく、高潔に。そう生きようとする自分を支えていたのは、強さではない。期待しないこと、諦めることでなんとか保った、弱い自我だ。どう生きても、母の望んだ自分にはなれないと知りながら──それでもせめて表面だけは、清く正しくあろうとしてきた。本当は透明でも、誰かの視線を浴びたときだけは、それなりに輝いて見えるように。
ちっぽけなプライドで覆った、大きな虚ろ。それが雀真耶の本質だった。こんなみじめな自分を、知りたくなかった。けれどもう隠すこともできない。すべて吐き出して、真耶はひたすらに苦しかった。悲しかった。自分が情けなくて、虚しく、みっともなかった。「傷つきたくないから、僕は、誰も、愛せない……」
そして、央太については、こう語っています。
空っぽの心の中に、もし央太が入ってきたら。真耶は自分が、心のどこかで、そう考えたのだと思う。いつか母にそうしてきたように、央太を自分の星にしてしまう。きっと真耶は央太の星を拠り所にし、生きるよすがにし、道しるべにしてしまう。生きる意味にしてしまう。その気持ちは重たすぎて、もはや愛と呼べるかさえ分からない。そして再びその星を失ってしまったら、今度はどうやって生きていけばいいか分からない──。
だから、いつも正しいことしかしない真耶様だけれど、央太を愛するのが怖くて逃げ続けた…ということでした。
正直に言って、真耶様が自分のことを透明な星だと考えていたなんて、思いもしませんでした。いつだって、強くて、美しくて、優しい真耶様。常に正しく、非の打ち所がない真耶様。これまでのムシシリーズを読んできて私はそう感じていたからこそ、余計に真耶様の自己評価の低さと深い孤独に衝撃を受け、真耶様がどんなに自分では「見せかけだけ」だと感じていたとしても、その正しさや高潔な生き方は、ほとんどの人はしたくてもできないし、その頑固で一途な馬鹿正直さと真面目さに多くの人が救われているのだと、彼を抱きしめたくなりました。
それに、意外といえば央太もでした。
央太が真耶様を先輩として好きなのは1巻の「愛の巣へ落ちろ!」で感じていましたが、よもや性欲を伴った好意だったとは。それに、これまでのムシシリーズのどのカップルよりも狂気を感じる執着攻め(しかもセックスも抜群に上手い)で、高校時代はあんなに天使みたいに可愛かった央太がこんなに変わるなんて…と衝撃でした。
真耶様ほど自分に興味がない人、そして万人に対して平等に優しい人から愛し愛されるには、央太くらいの激しい執着心と真耶様の孤独への深い理解が必要だな…と感じさせられました。真耶様はこれから央太のために生きていくのだなと思うと、真耶様の相変わらずな真っ直ぐさになんだか涙が出てきます。ピュアで、こうと決めた生き方しかできない真耶様の不器用さが本当に愛おしいです。央太、死ぬまで真耶様を大事にしてね。
愛の星は甘すぎる
付き合って2週間、央太に食事から洗濯まで家事の全てをこなされて困惑する真耶。恋人はギブアンドテイクの平等な立場であるべきと考え、央太を喜ばせようと手料理を作ってみようと思い立ちます。
真耶様の央太との付き合い方のスタンスは、結構独特です。
真耶は央太の愛を信じているけれど、一生続くとはあまり思っていない。もし続かなくてもべつに構わないと覚悟して、央太に自分の全部をあげている。
真耶様は央太に全てをあげるけれど、わざわざそれを口に出して言うつもりは全くないようです。自分の生活を央太のために変える覚悟はあるけれど、求められなければ現状維持。というのも、真耶様は恋人らしい生活というのがいまいち分からないからこうなるんですね。口に出して言わないのは、真耶様のプライドの高さゆえでしょうが、全てをあげたいと思っているのに求められなければ変えないのは、交際経験がないゆえの不器用さのように感じます。
結局、真耶様が央太に上手に手料理を作ってあげたことは喜ばれるんですが…央太は心の中で「早く僕なしじゃ、いられないようになってもらわないと」とぼやいています。
真耶を構成するものは、なるべく自分でありたいのだ。体に入る食べ物や飲み物も自分が選び、与えたい。爪の先から髪の毛、肌の皺の一本にいたるまで、央太がきれいにしてやりたい。甘ったるい言葉を浴びせ、週末には気持ちいいだけのセックスをして、仕事で疲れた心を癒し、いつでも甘えてもらえるようにしたい。甘いものしか、真耶に与えたくないし、それに毒されてくれないと困る。
とも独白していて、真耶様の生活に手も口も出すのは、どうやら世話焼きゆえではなく激しい独占欲ゆえのようです。
央太は真耶様に自分のそういったやや狂人的にも感じられる執着心について罪悪感を抱いているようで、「僕の一生を捧げるから、それで許してね……」とも言っています。
「愛の蜜に酔え!」では、綾人は里久を一生ガラスケースに入れて大事にしたいと思っていたのに、汚い大人たちに里久が傷つけられて打ちひしがれていましたよね。最後には、ケースの中には入れておけないけれど、里久はいつでも自分の腕の中に戻ってきてくれるから良いのだと納得していました。
真耶様は自分一人で世間の汚さに立ち向かい、打ち倒せる強さを持っているけれど、一人でいる時の真耶様は生真面目すぎて脆い、純粋培養の繊細ないち青年です。そんな、真耶様の一番弱いところはほとんどの人が見ることはないでしょうが、央太はそこをガラスケースに入れて守り続ける役目を果たしたいと思っているのかな、と感じました。
真耶と愉快な仲間たち?(電子限定書き下ろしSS)
寧々の結婚式でパフォーマンスを依頼された央太。参列した真耶は、親友の澄也や兜に央太との関係を揶揄われます。央太はそんな真耶を微笑ましく見つめますが、そんな彼に殺気のこもった視線を送る女性たちが…。
央太と付き合って半年にもなるのに、誰にも交際の事実を打ち明けない真耶様…衝撃です。せめて澄也と兜カップルには報告しても良いのでは!?あんなに人気者なのに、誰も自分に興味がないと思い込みすぎだよ…!と、あまりの自己肯定感の低さに切なくなります。
このお話で意外だったのが、寧々の発言です。
べつにあたしは、あの子に恋人なんていなくてもいいって思ってるの。それがあの子を悲しませるような相手ならね。
あれだけ恋人を作れって真耶様にせっついて、挙げ句の果てには「欠陥人間」と侮蔑し続けていたのに!?と怒りを感じたのですが、どうやら寧々なりに真耶様を心配していた様子。
寧々の本音は、真耶を手放すことでも、自立させることでも、恋人を作らせることにもないのだ。央太が真耶を本当に悲しませたら、たぶんあっという間に真耶は雀家のかごの中に戻されるし、央太の体は切り刻まれてしまうだろう。雀真耶はヒメスズメバチの巣のなかの、大事な宝物だった。央太にとっても、真耶はしまいこんで汚したくない存在なのと同じように。
真耶様は一人で孤独を抱え込んでいたけれど、3人のお姉さんたちは彼女たちなりに真耶様を案じていたんですね。
真耶様オタクとしては、「雀真耶はヒメスズメバチの巣のなかの、大事な宝物だった」はあまりにも感動的すぎて、涙が止まらなかったです。真耶様は自分を要らない子だと思って、一人で立てるように懸命に生きてきたけれど、もしかしたらお姉さんたちは弟にもっと頼って欲しいと思っているのかもしれませんね。
もしも薔薇を手に入れたなら
真耶と付き合い始めて半年になる央太ですが、付き合う前と後でほとんど変わらない真耶の様子に寂しさを感じていました。そんな中、兄弟子のジャン・ラエルが来日し、真耶にパリ時代の央太について赤裸々に話すという事件が勃発し…。
央太が真耶を愛する理由と、なぜ真耶から捨てられることを恐れているのかの理由が語られます。
真耶を愛する理由はなんとなく分かっているつもりでしたが、自分の想像とは少し違っていました。真耶を愛するのは、彼がいつも公正で愛に溢れた人だから…つまり、他の人が真耶を好きな理由と央太が真耶を好きな理由は同じだと思っていたんです。
でも実際は、央太はいろんな時に「ないかもしれない」と不安になる善性そのものを真耶が体現しているから好きなのだと書かれていました。
また、真耶から捨てられることを央太が異常に恐れるのは、
真耶の心には隙があるが、弱いわけではない。真耶はいつでも一人で生きていけるし、そうなっても不幸にならない術を知っている。真耶は多くをほしがらない。手の中にあるもので生きていける人なのだ。そして彼を愛している人は、真耶自身が思っているよりもたくさんいるのだ──。(僕は真耶兄さまがいなきゃ駄目だけど、真耶兄さまは、僕がいなくても、大丈夫)
央太は真耶としか生きていけないけれど、真耶は央太でなくても良く、最悪一人でも生きていける強さがあるから…ということでした。そのため、央太は真耶に必要とされたくて、家事のすべてを担い、自分に依存するように仕向けているのでした。
央太は、星の王子さまの薔薇はまるで真耶のようだと言います。
(僕は尽くし疲れたりなんてしないな)むしろ怯えている。いつか美しい高嶺の花から、もうお世話はいらないよと言われてしまわないだろうかと。そうなってしまったら、自分は彼にとって、なんの魅力もなくなることを、央太はよく知っているから。
央太はツマベニチョウに突然変異してから、仕事も恋も何もかもが順調です。けれど、本当に愛しているのは、スジボソヤマキチョウの自分を叱ってくれた真耶なんですよね。だからなのか、央太は真耶に対してのスタンスがスジボソヤマキチョウの頃のままのように見えます。逆に言えば、真耶の前でだけはスジボソヤマキチョウの央太になれるということでもあるのかな。
真耶にとって自分はお世話係でしかない…という引け目?は、央太があまりにも真耶を神格化しているから感じるのでしょうか。ただ、たしかに真耶の央太に対する淡白な態度は、彼に恋愛や性欲は必要なさそうだと感じさせはしますが…。
読者が思っている以上に、真耶が人生をかけて央太のために生きようと思っている覚悟は、央太自身には伝わっていないのだな…と少し不安になってしまいました。
でも、最後に真耶から同棲を提案されていたから、央太の「真耶に尽くさなければいけない」「真耶は突然いなくなるかもしれない」という不安は少し解消されるかな?
央太は父の会社を継ぐかどうかの問題も抱えているし、真耶とも完全に両想いとは言えない(まだ、真耶のために尽くさなければ別れられると思っていそう)し、「愛の在り処」シリーズのように、もう一冊くらい単行本で二人の恋のその後についてしっかり読み込みたいです。
愛の夜明けを待て!
愛の夜明けを待て!
広告代理店に勤める黄辺高也は、高校時代に片想い相手の志波久史と従兄弟の村崎大和の間で行われる「寝取り寝取られゲーム」の性具代わりに使われてきた過去があります。爛れた学生時代を経て、黄辺は真面目に会社員生活を送っていましたが、ある日突然志波が「離婚したから家を追い出された。しばらく泊めて欲しい」と訪ねてきて…。
ムシシリーズの中でも、異彩を放つ本作。理由は、いわゆる「いかにも両想い!ラブラブえっちでハピエン!」というラストではないからです。
黄辺は長年志波に片想いしていましたが、志波は「世界にある愛の循環の中に自分はいない」「僕は愛せない人間だ(昔はそれで生きづらさを感じたけれど、今は何も感じない)」と返します。何かや誰かを愛することが好きな黄辺はショックを受けますが、自分にとっての幸せは、志波を愛して生きることだから、ずっと志波を愛し続ける(志波が愛し返してくれるかは極論どうでもいいのだ)と、志波本人に宣言します。
最終的に志波は、「綺麗なもの」の聖地巡礼を終えると、黄辺のもとに戻って来て、「ずっとここにいる」と言って黄辺を喜ばせます。
明らかに両想いエンドではあるのですが、黄辺が志波に対してあまり愛され返されることを期待していない点は、他のムシシリーズ作品のカプと大きく違うところかなと思います。
どんなに世界から外れて見えても、愛の循環の中に久史もいるんだ。お前がどう感じてても、お前だってきっとどこかでそうと知らずに、ただ存在してるだけで、誰かに愛に似たものを与えてる。
黄辺は志波が「僕は人を愛せない」「親切は与えることができるけど」と言っていたことを思い出して、「存在しているだけで、愛に似たものを与えてるんだ」と話します。
実際、黄辺は志波がそばにいてくれるだけで幸せなわけで、志波が特別、親切にしようとか愛そうとか努力しなくても、ただ生きているだけで「俺のそばにいて居心地が悪くないんだ」という安心と愛を与えてるんですよね。
愛って特別な感情だとみんなが言うから、時に苦しくなるけれど、実際は愛ってそんなに大仰なものじゃないのかも、と、愛することに対して肩の力をもっと抜いていいのだとホッとしました。
それに、志波が会社の資料に走り書いた
幸せとは、ありたい自分でいられること。
も大好きです。
ありたい自分でいられるなんて当然でしょ、と思われるかもしれないけれど、例えば、家族が精神や身体に疾患を患っていてヤングケアラーにならざるを得なかったとか、学校にいじめっ子がいて怯えながら過ごさなきゃいけないとか、生活のために仕事を嫌々やってるとか、振り返ってみると、日常の中で「ありたい自分」でいられる瞬間ってそんなに多くないんじゃないか?と思うんですよね。自分の生活に照らし合わせてみると、志波の言葉の重みが強く響きます。
ムシシリーズは愛や幸福について考えさせられるシリーズですが、黄辺や志波のそれらに対する考え方はとても卑近で分かりやすく、自分の生活に取り入れやすいなと感じました。
エピローグ
志波と離別してから、黄辺は不幸せだと思いながら無味乾燥に生きるのをやめました。身近な人に親切にして、家庭菜園や猫を大切にして、週末には山登りをして…自分を、世界を愛する時間を大切にするようになったのです。
「綺麗なもの」の聖地巡礼をすると言ってふらりと会社を辞めてしまった志波。そんな志波を「ずっと愛し続ける。いつか戻って来て」と諦め半分に送り出した黄辺。
黄辺は志波が戻ってくることをどれくらい期待してるんだろう?志波は自分が愛の循環の中にいないと思っているし、黄辺に愛してると言われても困惑してるだけじゃないかな…黄辺のもとにはもう二度と戻らないんじゃないかな…と、黄辺の愛に満ちた淡々とした生活を読みながら不安な気持ちを抱いていました。期待すれば辛くなる、だから、黄辺には志波が帰ってくると期待してほしくないなと…。それこそ大和の言う通り、志波のことは忘れて、今の生活のままでいいじゃないかと…。
でも、志波は帰ってきた。それに、黄辺も、淡々とした一人の生活を楽しんでいるように見えて、本当はずっと志波を狂おしいほど求めていたのだと感じられて、胸が苦しくなりました。黄辺、心底志波のことを愛しているんだね…。
志波はどんな気持ちで黄辺のもとに戻って来たのか、心のうちを教えて欲しいです。
夜が明けてから
2年ぶりに黄辺のもとへ戻ってきた志波は、古びた登山グッズや服を一切合切捨ててしまいます。戻って来たのは短期間だけですぐにどこかへ出発するのだろうと考えていた黄辺ですが、予想外にも志波は1週間、1ヶ月…と長く居座るようになり…。
一番衝撃だったのは、志波が週に3回も黄辺に甘々スローセックスを挑むようになったこと…!
大和に恋人ができてからは二人はほとんどセックスしていなかったようなので、志波はてっきりセックスが嫌いなのだと思っていました。志波は聖地巡礼の旅の間に何度も黄辺とセックスしたいと思ったと打ち明けていたけれど、旅の最中にセックスに対しての考え方が変わったのかな?
黄辺が志波を好きだから家賃を払う感覚でやってあげてるのかな…と最初は訝しんでいたのですが、そうではないのかも。志波に心境の変化の理由を聞きたいー!!
そしてトドメが、志波の「ずっとここにいる」宣言。嬉しかったなあ。根無草みたいに、いつでも死へと飛んでいきそうな志波の、生きるための重しに黄辺はようやくなれたんだね…と思わず涙が溢れました。
とはいえ、心変わりの激しい志波のことだから、「ずっと」がいつまでかは分からないけど…できるだけ長く、二人が二人なりに愛を感じ合いながら、幸せに暮らしていけたらいいなと願わずにはいられません。
ドラマCD
「愛の夜明けを待て!」は、2022年10月26日にドラマCDが発売されています!
新垣樽助さん×土岐隼一さんという、アダルトで柔らかな美声を持つお二人です✨️
詳しくは、こちらをチェックしてみてくださいね。
愛の嘘を暴け!
グーティサファイアオーナメンタルタランチュを神と崇めるケルドア公国太公家に次男として生まれた、レッドバードスパイダーのテオ。国中から「要らない子」とその存在を無視され続けたテオは、隣国ヴァイクに亡命し、愛される日々を送ります。しかし、傷ついたテオの心を癒すのは今も昔も幼馴染のフリッツだけで…。
ムシシリーズイチ、穏やかで甘いお話でした。
そもそもフリッツはテオを深く愛している(しかも性的対象としても意識している)というところからお話が始まるので、二人が乗り越えるべき壁はさほど高くないんですよね。
とはいえ、お互いの幸せを願って身を引いてしまうタイプの二人なので、なかなか最後の一歩を踏み出せません。
意外にもテオが強引に手綱を握ったことで両想いになって、ホッと一安心しました☺️💕
穏やかな恋物語なので、他のムシシリーズ作品ほど心抉られたセリフは多くないのですが…一番好きなのは、誰にも愛されないと苦しんでいた幼いテオにフリッツが「いつか世界中の人間が、お前を好きになる。俺の予言は当たるぞ。だからお前は、お前が好きなもののことだけ考えていればいい」と諭すシーン。なんて幸福な呪いの言葉だろうと思ったし、こんなふうに人を(相手がどんなに幼くても真剣に向き合って真摯な言葉をかけてくれる、)励ませるフリッツの愛情深さに胸が締め付けられました。
続巻、「Love Celebrate!Gold -ムシシリーズ10th Anniversary-」と「Love Celebrate!Silver -ムシシリーズ10th Anniversary-」の詳しいネタバレ感想はこちら⬇️
まとめ
「愛の巣へ落ちろ!」が2010年に刊行されてから早15年。2025年6月現在、ムシシリーズはなんと全11巻が刊行されています。まだまだ続きそうな予感です。
また、コミカライズされているのは、「愛の巣へ落ちろ!」のみ。全4巻+番外編「愛の巣をはりきみを待つ」(※電子限定)です。
ドラマCD化されているのは、「愛の巣へ落ちろ!」「愛の蜜に酔え!」「愛の裁きを受けろ!」「愛の罠にはまれ!」「愛の本能に従え!」「愛の夜明けを待て!」の全6作品。ドラマCDに関して現在販売中なのは「愛の夜明けを待て!」のみなので、他作品は中古で買うしかなさそうです💧(全作品、再販してほしい〜!!😭)
製造元であるフィフスアベニューの、ムシシリーズ作品販売ページはこちら。
本を読み終えた時に、私を愛してくれる家族に感謝を伝えたくなったり、私も誰かを愛してみたいと思わせてくれたり、愛するという感情を大事にしたくなるのが、ムシシリーズの特徴です。
愛ってなんだろう、愛って人生に必要なのかな…そんなふうに感じた時に、立ち帰りたくなるシリーズです。
あなたも、ムシシリーズを通して自分の半生、そして、誰かや何かを愛してきた軌跡を見つめ直してみませんか。